衆議院議員 静岡県第7選挙区城内 実

活動報告及びお知らせ
国家国民のための信念を貫く男 信念

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★活動報告★ 2月16日(火)ー17(水)(写真付)

2010.02.18 ピックアップ

 16日(火)の夕刻に沖縄の那覇市にて前回の衆議院選挙で惜敗された國場幸之助さん(沖縄1区自民党、惜敗率81%)の後援会の会合があり、特別講師として東京からANA便にて沖縄に出向いた。
 恥ずかしながら生まれてはじめて沖縄の土を踏んだ。私は自民党議員ではない。でも、國場さんが昨年12月以来、三回にわたり東京の議員会館に私が不在中に足を運んで下さり、また丁重な手紙もいただいて講師として是非沖縄に来て欲しいと頼まれたので、今回重い腰をあげて沖縄に行った。そもそも國場さんは、自民党系の候補者であるのに、なぜ私のような無所属議員に声をかけてくださるのかと不思議に思った。
 私は、未だに昨年夏の真鍋かをりポスター事件がどうだとか、X氏と会って小沢一郎問題について意見交換したことが国策捜査の検察の手先でけしからんとか、私の父が神奈川県警本部長時代(?)に暴力団やら朝鮮総連やらオウム真理教やらとつながって國松孝次警察長官狙撃事件に荷担したとか(全く意味不明。なお、國松孝次さんは私の後援会副会長。)インターネットの工作員(?)の誇大妄想の情報をうのみにする匿名やらHNゲストのみなさんから次の選挙は落選確実と言われている、明日の我が身はどうなるかわからない、しがない野党系の無所属議員なのである。
 だからこそ、他人様の応援をするくらいであったら、次の選挙は本当に危ないので地元の静岡七区の地盤を固めないと失職(=落選)してまうわけである。前回の佐渡訪問を最後に、東京と浜松の地元以外に行くのはやめようと固く決意したのである。
 それでも、國場さんの心温まる手紙に、義理人情を重んじる城内実は不覚にも動かされてしまった。ちなみに、私の本会議の左隣の席は、國場さんの対抗馬の沖縄1区の現職の国民新党の下地幹郎先生であり、親しくさせていただいでいる。
 沖縄に行ってはじめて國場幸之助さんに会ってみたら私よりも8歳近く若いが、本当にまじめな良い青年(?)であった。永住外国人の参政権問題をはじめ国家解体法案について良く勉強していた。沖縄は左派勢力が強いだけにあまりにも全面に保守的な思想は出して大丈夫なのかとこちらが心配してしまったくらいである。ちなみに、沖縄県には保守系の野党国会議員は衆参あわせて島尻安伊子参議院議員(自民党)を除いて他の5人はいずれも与党民主党系の議員である。 
 國場さんを励ます会の懇親会の冒頭「かぎやで風」を生まれてはじめて体験した。
 17日の朝に那覇空港をたち、とんぼがえりで東京に着いた。午後3時から民主党の鳩山由紀夫総理と谷垣自民党総裁の党首討論があった。やや谷垣総裁の追求が甘かったのでがっかりした。
 午後4時には古屋圭司先生の依頼で「創生『日本』」のオフィシャルサイトをつくるために、この私のHPとブログを格安で作成してくださっている「フーリエ」のQ氏が議員会館に来た。
 夜は自民党の松山政司参議院議員のお誘いで漫画家の小林よしのり先生との夕食懇談会に参加させていただいた。途中9時過ぎに5年前に私の呼びかけで一緒に自民党法務部会で人権擁護法案に反対してくれた同志の古川よしひさ氏(宮崎3区)が合流。小林よしのり先生と皇室の将来について男系維持か女系かで論争していたが、日本の国を想う熱い気持ちは共通しており、二人の絆は強くなったと思われる。
 夜10半過ぎに帰宅した。たまたま自宅にあったSPレコードをかけた。それは、沖縄出身の東京音楽学校声楽科(今の東京芸術大学)を卒業した歌手の波平暁男(なみひらあきお)の南方節(川井三吉作詞、服部良一作曲)であった。
 このレコードは終戦前年の昭和19年に吹き込み発売されたものであった。生まれてはじめて訪問した沖縄から東京の宿舎に夜帰ってきて、最初にかけたレコードが沖縄出身歌手の戦時中の沖縄南方の新民謡であった。あまりの偶然にちょっと不気味になってしまった。こんなことってあるのだな。
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かぎやで風
かぎやで風。沖縄に来たと実感しました。
ニッチク南方節
昭和19年発売のニッチク南方節。歌手は沖縄県出身の波平暁男。