今日午後横浜にて高校生を対象に一時間ほど講話を行った。私が日頃お世話になっている星さ国際高等学校の生徒会役員の研修プログラムの一環である。教室には生徒約15名と教員約5名の総勢20名が出席。
私より冒頭、「より良く生きるため」とは「(自分も他人も)幸せになること」だという結論を示し、その手段として「目に見えないもの」を大切にすることが人生をより良く生きる鍵であると申し上げた。
それでは、「目に見えないもの」とはなにか。それは、ネオリベ信奉者が大好きな市場原理や価格では表せない、すなわちマーケットでは売っていないものである。
この「目に見えないもの」とは、現世御利益主義で、目先のパワーとかマネーとか人をたくさん殺戮する軍事力を大事にするアメリカや中国のような世界約200カ国中の異端児がもっとも不得意とする分野である。
目に見えないものとは、まずはGNOである。横浜の有力者である藤木幸夫会長よりいただいたマグカップにGNOと書かれてあった。GNOとは、「義理(G)、人情(N)、恩返し(O)」。人としての道であり、人生の基本型だ。このことをわかりやすく生徒に説明した。
うすっぺらい欧米流の個人主義や大陸系の覇権主義が戦後の日本をおかしくしている。そのせいで、日本人が得意とする「目に見えない」ものに対するものがないがしろにされている。
GNO以外にも、人と人との信頼関係、幸せ、心、たましい、愛、世界人類の平和、環境、歴史や伝統に対する誇り、いのち、思いやり、健康、ご先祖様、お天道様などがあることを説明した。
大変抽象的な中身であるが、以外とみんな熱心に私の話を聞いてくれた。
私城内実が考える究極の目に見えないものは、「世のため人のため、万民幸福のために『信念』を貫く」ことだと思っている。「信念」が勝つか「邪悪な力」が勝つか、神のみぞ知る。
(参考:「藤原正彦先生との対談(上) 」、「藤原正彦先生との対談(下)」)









考え方は色々あります。もっと具体的な表現があっても良いですよ。
目に見えないもの=「共同体精神と勤勉な国民精神」ではないでしょうか。原爆やB29の都市爆撃で見渡す限りの焦土となっても、共同体精神と勤勉な国民性、そして倫理・道徳・相互扶助が備わっているため、奇跡的な回復力で立ち直っています。外国の有名大学卒業の人より、学歴もない町工場の中小企業の社長の方が賢いことがたくさんあります。だからこそ、不況と言われている現在でも経済成長を続けています。
恩返し程難しい物は無いでしょう。数えきれない位忘れてきました。時折、点検してみます・・。
城内さん、おはようございます。いつも更新ご苦労様です。
子供達にこの手の話をするのは、有意義だと思います。結構真剣に聞いてくれる子が多いので、却ってこちらが吃驚する事もありますね。今の若い日本人は、日教組とマスコミによる捏造の歴史に洗脳されている世代ですから、まだ頭の柔らかい子供達には、しっかりと事実のみを伝え、我々の先代が如何に苦労してきたか?また、我国を守る為に明治維新から今現在迄諸外国とどう向き合ってきたか?を、しっかり伝えたいと思っています。そんな中で、子供達が郷土愛や、家族愛ひいては、愛国心に目覚めてくれる事を願わずにはいられません。
信仰心にも通じるお話ですね。
一般に日本人は宗教というと毛嫌いする人やご利益宗教しか知らない人が多いですが、人の道という意味で心に大切にするべきものがないと、損得で物事を判断し、そのように考えている人に無意識に影響されても気付かなくなり、良心の呵責さえ感じなくなっていくように思います。
ちょっと前に「南京の真実」という映画を見ましたが、戦前の人たちは、命より大切にするべきものがあったからこそ、死を前にしても精神の動揺少なく、狂乱することもなく、家族を思い、国を思う気持ちを失わず、人生を全うできたと尊敬するばかりです。
>城内実様、初めて書き込みさせていただきますソロと名乗って居るモノです、以後お見知り置きをお願いいたします。
日本人の「目に見え無いモノ」の代表とは「GNO」ですか。
ソウですよね、同意いたします。
私も此のお話は、子供達を中心にして行くべきだと思います、子供に義理や人情の定義を言葉で説明しても、ソレこそ目に見えないからと拒否されそうですから、具体例を示して、その中で大切さを示唆する方が善いのではないでしょうか、それも、現実に起こった人助けや助け合いと言ったモノをモチーフにしたモノの方が望ましいと思います、学校に期待できないのなら、親が子供にしてやるべきでしょう。
子供の感性に訴えるお話にして結論を訊いて看れば善いのだと覆います、子供の視点って、一点凝視で深い部分がありますから、我々大人が逆に勉強させられる羽目になりそうな気がします、すると、大人が子供の目から世間を見直す事にも繋がるのではないでしょうか。
道徳話は「結論が固定している」とは云いますが、話を聞くのは初めての子供だって居るワケです、答えだって一つでなくてはならないワケもない、ですから、結論は押し着けず、例えば「恩返し」する為の心構えの在り方について、話し合った方が善いのではないか、結論を覚えるのではなく、色んな他者の話しから結論を導き出し、自分の感じたモノと比較対照する力が鍛えられなくては、「目に見えないモノ」を感じる力、表現・体現する為の基本力は、身に着かない様に思います。
民主の若造はともかく、片山のオババは手段を選ばない奴です。
最後まで、油断せずに。
Easy come,easy go!=得難いものは失い難し。
初めてこちらのブログを拝見させて頂いたものです。
政治家の方でいらっしゃるようですので、あえて率直に自分の感想を述べさせて頂きますが・・
貧しくて辛かった子供時代のために、金持ちになりたいと願い、そして目指す事を否定することはできないでしょう。また、信頼できる存在に出会えなかったり、裏切られたことで、他人と信頼関係が結べなくなった人を責めることは出来ないでしょう。そして、家族とか、国家とか、そんな枠組みに意味を感じられなかったために、お金しか信じることが出来なくなった人もいるでしょう。そして、そんな具体的個々にしか当てはまらない話しをしているんじゃない!ともしお感じになるようでしたらば、現実の多くは、皆本人なりにそんな理由を持っている個々ばかりなんだと思います。
今の時代、大人が率先して、お金や将来の安全性を子供が自分で目指したかのうように仕向けておいて、一方であまりにもキレイ事では無理があるでしょう。
大切なのは、価値観の押し付けではなく、その人がその人なりに成長していけるチカラを身につけることだと思います。また、失敗から再スタートを切れる社会であるべきでしょう。
そして『恩』とは、それと気づく事・そのことを忘れない事こそが重要であり、『恩』を大切に思うからこそ、あえて『恩』は返す必要もないものでしょう。他人のために生きる存在を認めるならば、他人に助けられることを望まない人もいることを考えなければならないでしょう。
また、新自由主義を支持する人間は、金や物を一番大事なものと捕らえていないからこそ、市場原理に任せて構わない発想を持っている・・という可能性もあります。
また、『邪悪な力』について、対抗が『信念』だということは、自身の中での戦いだと捉えたいところですが・・お話しの流れではそうではないように捉えられます。『正義』とか『邪悪』というものは、人によって別れるものではなく、各個人が『正義』と『邪悪』両方を持っていると捕らえるのが、まずはニュートラルな発想だと思いますので、過剰な対抗意識はかえって不信に感じてしまいます。