コラム の記事一覧
最近だいぶ寒くなってきた。皮下脂肪がほとんどない痩せ型の私にとっては結構寒さはこたえる。
体重も高校生のころからほとんどかわらず。なかなか太れない。よく国会議員なんだからもう少し太ったほうが良いのではと言われる。
なぜ太れないのか。
きょうたまたまある資料に昭和40年代の食事と平成21年の食事の比較があった。それを見てはたと気がついた。
私は昭和40年生まれだが、なんと46年間ほとんど今日にいたるまで昭和40年代の食事をとっていたことが判明したのだ。
ご飯中心。好物は漬物、納豆、きのこ類。焼き魚。干物。毎日味噌汁。たまにごちそうに鶏肉。
外国で10年間暮らしていたときも可能な限り自宅では米を食べていた。
日本食を中心に腹七分目(低カロリー)、そして毎朝の水垢離(みずごり)がもしかしたら私の健康の秘訣かもしれない。
(ちなみに今日の朝ごはんは、ご飯軽く一膳、かぶの味噌汁一杯、キンメダイの干物半身、農家の方からいただいた自家製たくあん3切れ、地元の天竜産のお茶二杯。ふだんは干物のかわりに納豆なので今日は大変なご馳走。米は棚田のお米、味噌は家内の自家製。)
別に「贅沢は敵だ」とは言わないが、飽食の時代から粗食にして食材にこだわる時代にきたのではないだろうか。
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私はあまり整理整頓の得意なほうではない。でもいただいた名刺だけはきちんと整理するようにする。まず、名刺交換をした日付と行事などを名刺の上に書くようにする。そうするとあとになっても「ああ、あのとき新幹線の中で声をかけてくださった方だ」などと思い出す。
一期一会はたいせつにしなければならない。実際、今東京の後援会で大幹部をしてくださっている歯医者さんの亀〇先生などは落選中のたった一通のメールのやりとりからはじまった。人と人との良きつながりは大切にしたい。
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私はどちらかというと多趣味だ。古い車いわゆる旧車が好きだし、中学生のころから戦前のSPレコードを集めてかれこれ35年近くになる。今では、昭和30年代のビンテージオーディオ(注)にこっている。
趣味はひとそれぞれである。盆栽でも良いし、フィギュアでも漫画でも、骨董でもオペラでも食べ歩きでも、旅行でも何でも良い。反社会的な人様に迷惑をかけなければ良いのだ。
趣味があればどんな困難にも立ち向かうことができる。私も人生を豊かにする意味でもより文化的な生活をしたいと思う。
ところで、橋下大阪市長は朝比奈隆先生の流れをくむ由緒ある大阪交響楽団をはじめとする文化予算を大幅に削減するそうだが、一見無駄に見える文化予算をしっかり増額することこそ長い目で見て国民の活力なると思うのだが。文化を趣味としている方々は多い。文化は市場原理主義になじまない。あたりまえのことだ。橋下さんは、外国で長年生活をされたことがない島国根性の夜郎自大なお方なのでいたしかたないかもしれない。
橋下市長がどのような幼少期を送ったかよくわからないが、趣味や文化的な余裕がなく、ただがり勉して弁護士になったとしたら大変不幸なことである。。
私はあえて自民党の石原幹事長や国民新党の亀井静香代表、石原都知事などがべたぼめした人気絶頂の橋下とおる大阪市長に苦言申し上げる。
「パフォーマンスもいいかげんにしろ!!!」といいたい。
(注:MACINTOSHのアンプ、GARRADのプレーヤー、ALTEC、JENSEN、STEPHENS、GOODMANNS、TANNOYといったスピーカー)
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今日は12月1日。いつのまにか、霜月から師走に変わっていた。
今年は大震災、原発事故、TPPの問題などさまざまなできごとがあった。
あと残り一ヶ月であるが、これから来年にかけて好転することを祈る次第である。
ところで、この時期まだ厚着しなくても暖房つけなくても大丈夫という関東から東海にかけてのこの気候はいったいなんなのだろう。
今日はN秘書と一日北遠をまわった。浜松事務所の秘書は本当によく働いてくれる。だいたい週末の土日にイベントがあるので、ほとんど全員が休みは平日にとる。
東京の政策秘書はというと、私が土日に地元浜松に戻っても、いろいろと政策面の仕事を週末にこなし、次の週に向けて東京の政治活動を万全にこなす準備しているであろう。
政策秘書というと、最近は司法試験や国家公務員の上位合格組みが政策担当秘書となるケースが多い。したがって、きわめて優秀な人材が国会議員の秘書に採用されるとのこと。これも景気の影響と思われる。
他方、どんなに能力があってもやるきがない人物はだめである。私は、多少能力がなくても、一生懸命にうそをつかず、まじめにこつこつと仕事をする人物を高く評価する。いいかげんな仕事や表面だけがんばっているふりをしても見ている人は分かるものである。
まじめにがんばる人を天は救い、いいかげんにやっている人を天は見放すであろう。
週末は必ず家族のいる地元浜松に戻り徹底的な後援会活動を続けている私ではあるが、ドイツ側からのたっての要望もあり、夕方浜松から東京に向かい、シュタンツェル・ドイツ大使主催日独交流150周年を兼ねたナショナルデーのレセプションに出席した。
日本側は、皇太子殿下、ドイツ側は今回の交流150周年にあわせて訪日されたヴルフ大統領が主賓として招かれていた。
日本側からせめて外務大臣、ほんの少しの時間でも総理大臣に顔を出していただきたかった。国会議員で出席が確認できたのは、平岡法務大臣、岡田克也元外務大臣、田中真紀子元外務大臣、米長晴信参議院といった民主党の議員数名であった。
平岡大臣が乾杯の挨拶をされた。大臣には大変失礼であるが、最初日独を日米とまちがえて言ったり、ご出身の山口県の伊藤博文総理の話をしたり、とにかく長すぎてちょっとみなさん辟易していたような感じを受けた。私だったら、たったひとこと「日独修好150周年おめでとうございます。日独友好協力関係がますます前進発展することを祈念してカンパイ、ツゥム・ヴォール!」で終わらせるのだが。通訳つきだからこそ、長くならないように気配りすべきだと思う。長いとビールやシャンパンの泡や気が抜けてしまう。外国人はそういうことに敏感であり、日本人のように我慢強くないのだ。
私は最初はご遠慮もうしあげたが、高野元駐独大使がヴルフ大統領の下に私を人をかきわけ引きつれて下さって、私を大統領に紹介して下さった。私がさびついたドイツ語を使って、ドイツに関係のあった日本の国会議員として大統領閣下の訪日を歓迎する旨申し上げたところ、ちょっと驚かれたご様子だった。大統領と一言会話したい日本側の招待者が列をなしていただいたので、それだけで失礼しようとしたら、いろいろ話しかけてくださってかえって恐縮した。最後に大統領より、何か日独関係でできることがあったら協力するのでこちらに直接電話をしてくださいと、さらさらと大統領官邸の直通番号と思われる番号を紙に書いて渡していただいた。なんという気さくな人柄だろうか。
私はもちろん、「はいわかりました」などとは言わずに、となりにシュタンツェル・ドイツ大使閣下もおられたので「ありがとうございます。何かありましたら、日独両国の大使を通じてご連絡させていただきます。」とお答えした。
今晩は総理官邸で野田総理大臣主催のヴルフ大統領をお招きしての晩餐会がある。私も招待状をいただいた。微力ながら日独関係の発展のためにがんばりたい。
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外国語をさびつかせないためにほぼ毎週一回大変有能な英国人紳士の方から英語を学んでおり、また時々インターネットで英国のBBCワールドサービスやドイツのドイッチュラントフンクなどを聞いている。
むかしは、外国の放送といえば、短波放送を通じて聴くほかなかったが、インターネットがあれば、最高の音質で番組が聴けるし、簡単に録音もできる。BBCはアジアに中継局があったから短波ラジオがあれば聴けたが、ドイッチュラントフンクは国内向けのため、日本で長波の放送を受信することは不可能ではなかったようだが、至難のわざだった。
私が語学を学ぶのは、いかに外国人に対して日本の正当な立場を主張したり、偏見や誤解をといたりするためである。外国の文化を学ぶのは結構であるが、日本人はまず日本の国史と国語をしっかり学んでから余裕があれば外国語を学ぶべきだと思う。
今日は東京の自宅に夜9時前に帰ったが、たまっていた仕事や外国語の勉強などをしていたら、あっという間に午前2時過ぎになってしまった。
明日朝早起きしないのといけないので、今日はこれで就寝することとしたい。
ブログの読者のみなさん、おやすみなさい。
先週末から秋祭りがはじまった。朝から晩までご招待いただきいろいろなところに赴く。ありがたいことにみな歓迎してくださる。
地元で10年近く政治活動をすればみなさんとはもう顔なじみである。
こんな状況だから、妻や子も浜松におり、殺伐とした東京にいきたがらない。東京に単身赴任している私がいるにもかかわらず、妻は年に一~二回程度しか東京にいかない。昨年は私の東京のパーティーと宮中での天皇陛下のお誕生日のレセプションの二回しか東京にこなかった。
だからこそ妻が9月に入って今年はじめて日帰りで東京の議員会館と私の宿舎に来たことは画期的だった。
やせがまんして議員宿舎に入っていない私の賃貸住宅は狭いながらも我が家である。そこで、妻があまりの汚さに驚き、徹底的に掃除と洗濯をしてくれた。
もつべきものは掃除洗濯が上手なパートナーである。。


先日の浜松市天竜区の天竜川で川下り船が転覆した事故が発生した。 私の選挙区内でおきた事故で、また亡くなられた船頭さんも私の後援会で大変お世話になった方だけに心を痛めている。亡くなれた5名の方のご冥福を心からお祈り申し上げる。







