今日は朝9時から文部科学委員会に出席した。高校の無償化問題について各人から文部科学大臣はじめ政府三役に対する質問が行われた。
来週文部科学委員会で質問することになった。教育問題、特に高校無償化のさまざまな問題(例えば北朝鮮系の朝鮮高等学校をどうするかの問題)、スポーツや文化の振興などについて自分の意見を述べるとともにいろいろ政府の考え方を問いただしてみたいと思う。
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★活動報告★ 3月5日(金)
◇ コ ラ ム ◇ お疲れさまでした
今日は朝から文部科学委員会はじめ、昨日なみの日程。
さきほどやっと浜松の自宅についた。
昨日同様に長い一日であった。
一週間ぶりに家に帰るとなぜか9歳の長男8歳の次男が少し成長しているように見えた。
錯覚だろうか。みなさんもこんな経験ないだろうか。
みなさん、今日も一日お疲れさま。
追伸:ところで気がついたことひとこと。民主党のみなさんは、企業団体献金の禁止をうたっておられるが、「企業団体労働組合」献金禁止といっていただきたいのだが。労働組合のみなさんも権力にすりよらないと信じている。
★活動報告★ 2月16日(火)ー17(水)(写真付)
16日(火)の夕刻に沖縄の那覇市にて前回の衆議院選挙で惜敗された國場幸之助さん(沖縄1区自民党、惜敗率81%)の後援会の会合があり、特別講師として東京からANA便にて沖縄に出向いた。
恥ずかしながら生まれてはじめて沖縄の土を踏んだ。私は自民党議員ではない。でも、國場さんが昨年12月以来、三回にわたり東京の議員会館に私が不在中に足を運んで下さり、また丁重な手紙もいただいて講師として是非沖縄に来て欲しいと頼まれたので、今回重い腰をあげて沖縄に行った。そもそも國場さんは、自民党系の候補者であるのに、なぜ私のような無所属議員に声をかけてくださるのかと不思議に思った。
私は、未だに昨年夏の真鍋かをりポスター事件がどうだとか、X氏と会って小沢一郎問題について意見交換したことが国策捜査の検察の手先でけしからんとか、私の父が神奈川県警本部長時代(?)に暴力団やら朝鮮総連やらオウム真理教やらとつながって國松孝次警察長官狙撃事件に荷担したとか(全く意味不明。なお、國松孝次さんは私の後援会副会長。)インターネットの工作員(?)の誇大妄想の情報をうのみにする匿名やらHNゲストのみなさんから次の選挙は落選確実と言われている、明日の我が身はどうなるかわからない、しがない野党系の無所属議員なのである。
だからこそ、他人様の応援をするくらいであったら、次の選挙は本当に危ないので地元の静岡七区の地盤を固めないと失職(=落選)してまうわけである。前回の佐渡訪問を最後に、東京と浜松の地元以外に行くのはやめようと固く決意したのである。
それでも、國場さんの心温まる手紙に、義理人情を重んじる城内実は不覚にも動かされてしまった。ちなみに、私の本会議の左隣の席は、國場さんの対抗馬の沖縄1区の現職の国民新党の下地幹郎先生であり、親しくさせていただいでいる。
沖縄に行ってはじめて國場幸之助さんに会ってみたら私よりも8歳近く若いが、本当にまじめな良い青年(?)であった。永住外国人の参政権問題をはじめ国家解体法案について良く勉強していた。沖縄は左派勢力が強いだけにあまりにも全面に保守的な思想は出して大丈夫なのかとこちらが心配してしまったくらいである。ちなみに、沖縄県には保守系の野党国会議員は衆参あわせて島尻安伊子参議院議員(自民党)を除いて他の5人はいずれも与党民主党系の議員である。
國場さんを励ます会の懇親会の冒頭「かぎやで風」を生まれてはじめて体験した。
17日の朝に那覇空港をたち、とんぼがえりで東京に着いた。午後3時から民主党の鳩山由紀夫総理と谷垣自民党総裁の党首討論があった。やや谷垣総裁の追求が甘かったのでがっかりした。
午後4時には古屋圭司先生の依頼で「創生『日本』」のオフィシャルサイトをつくるために、この私のHPとブログを格安で作成してくださっている「フーリエ」のQ氏が議員会館に来た。
夜は自民党の松山政司参議院議員のお誘いで漫画家の小林よしのり先生との夕食懇談会に参加させていただいた。途中9時過ぎに5年前に私の呼びかけで一緒に自民党法務部会で人権擁護法案に反対してくれた同志の古川よしひさ氏(宮崎3区)が合流。小林よしのり先生と皇室の将来について男系維持か女系かで論争していたが、日本の国を想う熱い気持ちは共通しており、二人の絆は強くなったと思われる。
夜10半過ぎに帰宅した。たまたま自宅にあったSPレコードをかけた。それは、沖縄出身の東京音楽学校声楽科(今の東京芸術大学)を卒業した歌手の波平暁男(なみひらあきお)の南方節(川井三吉作詞、服部良一作曲)であった。
このレコードは終戦前年の昭和19年に吹き込み発売されたものであった。生まれてはじめて訪問した沖縄から東京の宿舎に夜帰ってきて、最初にかけたレコードが沖縄出身歌手の戦時中の沖縄南方の新民謡であった。あまりの偶然にちょっと不気味になってしまった。こんなことってあるのだな。
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かぎやで風。沖縄に来たと実感しました。

昭和19年発売のニッチク南方節。歌手は沖縄県出身の波平暁男。
★活動報告★ 佐渡にて講演会(写真付)
2月12日(金)の夕方から一泊二日の日程で新潟県の佐渡に講演に行った。
新潟港から佐渡の両津港までジェットフォイルという高速船に乗る。波が高いと良く欠航するらしい。フェリーだと2時間以上かかるが、これだと1時間で到着する。
佐渡は思ったほど雪も少なく、それほど寒く感じなかった(毎朝冷水を浴びているおかげか)。
13日(土)の朝8時半から約1時間講演をする。昼の懇親会まで時間が多少あったので、主催者の方に朱鷺(とき)の繁殖センターと佐渡金山の博物館に連れて行っていただく。
生まれて初めて朱鷺を見た。佐渡金山も大変興味深かった。時間がなかったので十分見れなかったのが残念だった。
昼の懇親会では有志のみなさんが私を激励するために佐渡の民俗伝統芸能の「鬼太鼓」を披露してくださった。
午後再び船に乗って新潟港にわたり、JR新潟駅から上越新幹線で東京へ。東京から東海道新幹線で浜松に向かう。
夜8時地元の某地区の火祭りになんとか間に合った。この日も長い一日であった。

朱鷺がたくさんいました。

鬼太鼓は迫力ありました。
★活動報告★ 1月30日(土)、31日(日)
30日の土曜日、通常週末は地元を細かくぐるぐるまわるが、今日は伊勢神宮にお参りに行った。午後夫婦岩で有名な二見興玉神社を参拝。続いて豊受大御神(豊受媛神=とようけひめのかみ)のおわします通称「外宮」すなわち豊受大神宮へ向かう。正宮参拝後、多賀宮なども無事に参拝。
31日の朝は4時半に起床して今度は天照大御神様の内宮を5時から早朝参拝。日の出前であったが、以外と風もなく暖かく迎えてくださった。正宮をしばし参拝後、荒祭宮など主要なところのみ参拝。6時には、内宮を後にして名古屋空港に向かった。 内宮では、一、天皇陛下及び皇室のいやさか、二、神国日本の繁栄、三、世界人類が平和でありますように、といういつもの三つのお祈りをしたが、今年はさらに、「戦後65年を経た本年(平成22年)においてわが国の政治の流れが大きく変わり、国家国民が日本民族の使命に覚醒し、平成維新元年となりますように。」と強く念じたのであった。
昨年まだ工事中であった宇治橋が新しくかけかえられていて気持ちが良かった。海外生活10年近くにわたり、帰国子女で過去の一時期外国かぶれであった城内実が「日本人で本当に良かった」とつくづく感じる瞬間である。
8時15分発の日本航空便で秋田に向かった。11時から大仙市内にて講演を行う。講演終了後13時50分発の羽田行き便に飛び乗る。秋田は母方の祖父のふるさとであり、私の体には四分の一秋田(湯沢)の血が流れている。
このブログは新幹線の中で書いている。これから浜松駅に着いて、さらに1時間以上かけて天竜区の奥の某地区へと国政報告会に向かう。
本当にながい一日になりそうだ。

この日の夜夫婦岩の間に満月がのぼったそうです。

早朝前なので暗い。

秋田に「あっ来た!」という感じの雪でした。
★活動報告★ 1月18日(月)通常国会始まる(写真付)
1月18日より、第174回通常国会が始まった。前日の夜に浜松から東京へ新幹線で移動。
18日の朝は5時に起きた。家を7時半頃に出て徒歩で議員会館に向かう。通常国会の初日だけは、衆議院の正面玄関から入って名刺を渡してそこに設置してある議員の名前が書いている掲示板のボタンを押すことになっている。
8時頃に正面玄関に入ってボタンを押した。受付で名刺を受け取った衆議院の事務局の方に、すでに何人くらいの議員が登院されたのですかとたずねたら、あなたが今日一番で登院したといわれた。
8時過ぎで私が一番乗りとは驚いた。選挙直後の初登院では、待ち受けるテレビ局のカメラを意識してか早朝から一番乗りをめざす当選議員が何人かいる。しかし、今回は閑散としていた。私だけ気合いを入れすぎたのであろうか。
その後、議事堂内の中央食堂に行き朝定を食べたことはすでに先日のブログに紹介した。一番乗りは気持ちがいいものだ。さい先の良いスタートを切ることができた。
そういえば、戦中の軍事歌謡としてレコード各社から発売された、「戦友の遺骨を抱いて」という曲があった。その歌詞は「いーちばんー、乗りをやるんだと・・・・」という歌詞である。一番乗りも良いがこれから黙って日本の政治の流れを変えていきたい。


★活動報告★ 1月3日(日)(写真付)
今日は朝から某地区をまわってから、午後旧天竜市の懐山へ。そこで毎年恒例の民俗伝統芸能の懐山のおくないを観賞する。ご支援いただいている大石伝次保存会長(元天竜市議)は齢92歳でまだまだお元気だった。その後引佐町の寺野に向かう。寺野の三日堂にて寺野のひよんどりが大勢の観客の前で披露された。
その後、寺野の故伊藤信次氏(日展入選画家)邸を訪問。そこにいらした浜松文芸館の事務局次長で木下恵介記念館館長の斉藤卓さんとしばし映画談義。私が女優の高峰秀子さんの長年のファンで木下恵介監督作品の「カルメン故郷に帰る」、「カルメン純情す」、「二十四の瞳」の主題歌などについて話したら、「そんなにお若いのになぜご存じなのですか」と驚いておられた。
まあ、何を隠そうこちらは中学生の頃からSPレコードを集めているので、黛俊郎氏及び木下恵介監督の弟の木下忠司氏作曲の「カルメン故郷に帰る」の主題歌のレコードくらいは当然所有しているし、映画も結構見ている。
実は日本初の総天然色映画の「カルメン故郷に帰る」よりもその後制作された白黒映画の「カルメン純情す」の方が当時は評価が高かったようである。木下恵介監督のユーモアあふれるストーリーは本当にほほえましい。
ここまで書いて何のことかさっぱり分からない人には松竹映画のDVDを購入するか借りるかして一度ご覧になっていただきたい。



★活動報告★ 12月30日(水)
今日は朝から餅つきの会が何件かあったので出席した。どちらも何世代前から12月の30日に親戚縁者を呼んで餅つきを行っているとのこと。小学二年生の次男もきねをもってうすをついた。
夜は毎年30日夜恒例の馬刺を食べる会に出席した。今年で七年連続で出席した。この地区は特に城内後援会が強いところで、先の衆議院選挙では候補者が私も含めて四名いたにもかかわらず6割近いダントツの得票率のところであった。カラオケを歌うように言われたので、田端義夫(かえり船)、小林旭(さすらい)、橋幸夫(高校三年生、いつでも夢を)の曲を歌った。本当はもう少し古い伊藤久男や霧島昇あたりを歌いたかったのだが・・・・。
今日は朝から大いに充実した一日であった。

朝一で最初の新居町の餅つき会場へ。

次男が二番目の引佐町の餅つきの会にて生まれて初めて餅つきに挑戦

K村家の皆さんと集合写真

馬刺の会
★活動報告★ 12月22日(火)(写真付)
22日は、城内実後援会女性部の恒例の年末のバス旅行があった。今回は京都日帰り旅行である。
前日関西在住の若手のみなさんとの会があったので、そのまま京都に一泊し、女性部のみなさんを京都でお迎えした。
午前11時半に金閣寺の駐車場には、バスが5台が入り挨拶をする。
昼は村田大使との昼食会があったのでそちらに行ったが、さらに午後1時半頃には再び金閣寺に戻ってきて、第二陣のバス6台を金閣寺で迎えた。
結局バス11台、約400名近い方を京都にてお迎えしたのであった。昨日と違って今日は天気も良く観光日よりであったのがなによりである。
午後はそのまま浜松によらずに、京都から東京に戻り、チベット問題に詳しい有本香、大井功両先生と夕食をともにした。大変充実した一日であった。


午前11時半頃に7号車から11号車の5台が到着。


午後1時半過ぎには、1号車から6号車が到着。
★活動報告★ 12月9日(水)(写真付)
9日の朝9時半に台北市内のホテルを出発。
一行6名とともに市内の「六氏先生の墓」を訪ずれる。



その後、馬英九総統が執務している台湾総統府(旧台湾総督府)を外から眺める。この近辺は戦前からの日本の近代的な建物が多い。

続いて立法院の前にて車から降りる。たまたま台湾独立派の方々が道ばたで抗議活動を行っていた。

昼は昨晩に引き続いて蔡こん燦さん主催の食事会。「台湾料理」をごちそうになった。
14時に11日に帰国する一行と分かれて台北空港に向かう。
16時50分発の中華航空にて成田へ飛ぶ。
無事20時45分頃祖国日本に到着。東京の自宅には22時半に着いた。
(なお、前日8日の模様は後日このブログでアップする予定。)




