2010年2月の記事一覧
米議会の公聴会にトヨタの豊田社長を呼ぶ呼ばないという話になっているとの報道があった。
しかしあの世界一のトヨタがいまや大変なことになっている。
巨星ついに墜ちたという感じだ。
トヨタといえば、小泉政権下でトヨタの会長で経団連会長(当時)でもあった奥田氏が郵政民営化を強引に進めたことが記憶に新しい。
まさか天罰が下ったということではあるまい。
16日(火)の夕刻に沖縄の那覇市にて前回の衆議院選挙で惜敗された國場幸之助さん(沖縄1区自民党、惜敗率81%)の後援会の会合があり、特別講師として東京からANA便にて沖縄に出向いた。
恥ずかしながら生まれてはじめて沖縄の土を踏んだ。私は自民党議員ではない。でも、國場さんが昨年12月以来、三回にわたり東京の議員会館に私が不在中に足を運んで下さり、また丁重な手紙もいただいて講師として是非沖縄に来て欲しいと頼まれたので、今回重い腰をあげて沖縄に行った。そもそも國場さんは、自民党系の候補者であるのに、なぜ私のような無所属議員に声をかけてくださるのかと不思議に思った。
私は、未だに昨年夏の真鍋かをりポスター事件がどうだとか、X氏と会って小沢一郎問題について意見交換したことが国策捜査の検察の手先でけしからんとか、私の父が神奈川県警本部長時代(?)に暴力団やら朝鮮総連やらオウム真理教やらとつながって國松孝次警察長官狙撃事件に荷担したとか(全く意味不明。なお、國松孝次さんは私の後援会副会長。)インターネットの工作員(?)の誇大妄想の情報をうのみにする匿名やらHNゲストのみなさんから次の選挙は落選確実と言われている、明日の我が身はどうなるかわからない、しがない野党系の無所属議員なのである。
だからこそ、他人様の応援をするくらいであったら、次の選挙は本当に危ないので地元の静岡七区の地盤を固めないと失職(=落選)してまうわけである。前回の佐渡訪問を最後に、東京と浜松の地元以外に行くのはやめようと固く決意したのである。
それでも、國場さんの心温まる手紙に、義理人情を重んじる城内実は不覚にも動かされてしまった。ちなみに、私の本会議の左隣の席は、國場さんの対抗馬の沖縄1区の現職の国民新党の下地幹郎先生であり、親しくさせていただいでいる。
沖縄に行ってはじめて國場幸之助さんに会ってみたら私よりも8歳近く若いが、本当にまじめな良い青年(?)であった。永住外国人の参政権問題をはじめ国家解体法案について良く勉強していた。沖縄は左派勢力が強いだけにあまりにも全面に保守的な思想は出して大丈夫なのかとこちらが心配してしまったくらいである。ちなみに、沖縄県には保守系の野党国会議員は衆参あわせて島尻安伊子参議院議員(自民党)を除いて他の5人はいずれも与党民主党系の議員である。
國場さんを励ます会の懇親会の冒頭「かぎやで風」を生まれてはじめて体験した。
17日の朝に那覇空港をたち、とんぼがえりで東京に着いた。午後3時から民主党の鳩山由紀夫総理と谷垣自民党総裁の党首討論があった。やや谷垣総裁の追求が甘かったのでがっかりした。
午後4時には古屋圭司先生の依頼で「創生『日本』」のオフィシャルサイトをつくるために、この私のHPとブログを格安で作成してくださっている「フーリエ」のQ氏が議員会館に来た。
夜は自民党の松山政司参議院議員のお誘いで漫画家の小林よしのり先生との夕食懇談会に参加させていただいた。途中9時過ぎに5年前に私の呼びかけで一緒に自民党法務部会で人権擁護法案に反対してくれた同志の古川よしひさ氏(宮崎3区)が合流。小林よしのり先生と皇室の将来について男系維持か女系かで論争していたが、日本の国を想う熱い気持ちは共通しており、二人の絆は強くなったと思われる。
夜10半過ぎに帰宅した。たまたま自宅にあったSPレコードをかけた。それは、沖縄出身の東京音楽学校声楽科(今の東京芸術大学)を卒業した歌手の波平暁男(なみひらあきお)の南方節(川井三吉作詞、服部良一作曲)であった。
このレコードは終戦前年の昭和19年に吹き込み発売されたものであった。生まれてはじめて訪問した沖縄から東京の宿舎に夜帰ってきて、最初にかけたレコードが沖縄出身歌手の戦時中の沖縄南方の新民謡であった。あまりの偶然にちょっと不気味になってしまった。こんなことってあるのだな。
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かぎやで風。沖縄に来たと実感しました。

昭和19年発売のニッチク南方節。歌手は沖縄県出身の波平暁男。
たまに携帯電話を事務所や家に忘れることがある。だいたいすぐに携帯電話がないことに気がつくし、とりに戻る。
携帯電話がないと不安でしかたがない。連絡したり、連絡を受けたりすることが多いからだ。
しかし、会合中や食事中には携帯電話には出ないようにしている。携帯電話を使うのは会合の休憩中や移動中がほとんどだ。
それにしても、私のように携帯電話中毒(?)になってしまった方が結構多いのではないだろうか。
せめて人生の最後の数年間は携帯電話のない生活をしてみたいものだ。
私はテレビをほとんど見ない。なぜならテレビがたれ流す低俗極まりない平和ぼけの番組に5分も耐えられないからだ。あと、テレビを見る時間があったらわずかな時間でも気分転換に趣味のSPレコードを50年前のビンテージものの真空管アンプで二、三枚聴いた方が幸せだからである。
それでも、ついに東京の賃貸マンションにあまりにも格安であったのでネットオークションで大型画面のテレビを落札してしまった。一人暮らしの部屋があまりにも殺風景だからだ。このテレビは重量約50キロ近くあり、運び入れるだけでも大変だった。
このテレビを何に使っているかというと、総天然色の映画を見るためではなくて、戦前の白黒映画を見るためだ。
最近では、戦前のドイツの歌姫のツァラ・レアンダーやオランダ出身のオペラ歌手のヨハンネス・ヘースタースの映画を良く見ている。5年前に発売された最先端のテレビを白黒で使うとは、何と贅沢なことか。このLEDのテレビを必死に開発した研究者もさぞかし嘆いているであろう。
総天然色の新しい映画や今風の歌も大いに発表し、つくっていくべきである。しかし同時に、時の流れとともに埋もれつつある名作を次世代に残すことも大切である。
議員会館の事務所には支援者の方から譲っていただいた国産のラックスマンSQ62を設置した。私が生まれた昭和40年よりも前に発売された真空管のプリメインアンプである。
温故知新とは良く言ったものだ。

写真は、ツァラ・レアンダー主演映画Der Blaufuchs(=デア・ブラウフックス、銀ぎつね(の毛皮のコート))で準主役のヴィリー・ビルゲル(右)とパウル・ヘルビガー(左)。1938年作。その他に女優のヤーネ・ティルデンが出演しているところがいい。
主題歌の「Kann es die Liebe Suende sein(「恋することは罪なことなのかしら」は当時ドイツで大ヒットした曲。つまり、映画の中で夫(パウル・ヘルビガー)がありながら飛行機乗りの他の男(=ヴィリー・ビルゲル)が好きになるような不倫一歩手前の状態で、結局夫はヤーネ・ティルデンと結ばれ、不倫が実るというハッピーエンドで終わるものがたり。
ちなみに、パウル・ヘルビガーと言えば、終戦直後のウィーンを舞台にした不朽の名作「第三の男」でオーソン・ウェルズ演ずるところのハリー・ライムのアパートの管理人で彼の手下に殺されてしまう役を見事に演じている。

7000円かけて掃除をしたらきれいな音がでるようになった。

後ろはこんなになっている。
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2月12日(金)の夕方から一泊二日の日程で新潟県の佐渡に講演に行った。
新潟港から佐渡の両津港までジェットフォイルという高速船に乗る。波が高いと良く欠航するらしい。フェリーだと2時間以上かかるが、これだと1時間で到着する。
佐渡は思ったほど雪も少なく、それほど寒く感じなかった(毎朝冷水を浴びているおかげか)。
13日(土)の朝8時半から約1時間講演をする。昼の懇親会まで時間が多少あったので、主催者の方に朱鷺(とき)の繁殖センターと佐渡金山の博物館に連れて行っていただく。
生まれて初めて朱鷺を見た。佐渡金山も大変興味深かった。時間がなかったので十分見れなかったのが残念だった。
昼の懇親会では有志のみなさんが私を激励するために佐渡の民俗伝統芸能の「鬼太鼓」を披露してくださった。
午後再び船に乗って新潟港にわたり、JR新潟駅から上越新幹線で東京へ。東京から東海道新幹線で浜松に向かう。
夜8時地元の某地区の火祭りになんとか間に合った。この日も長い一日であった。

朱鷺がたくさんいました。

鬼太鼓は迫力ありました。
本10日創生『日本』の役員会に平沼赳夫先生ともども出席した。
今通常国会で民主党が提出する「選択的夫婦別姓」法案をどうやって阻止するか議論した。夫婦別姓って朝鮮半島やシナ大陸では別に当たり前のことであるが、日本に導入するというのはやりすぎだと思う。
いずれにせよ、今後議論していきたい。

平沼赳夫最高顧問、安倍晋三会長、城内実事務局次長
本8日昼前に静岡県庁へ出向いた。12時前に県の選挙管理委員会に後援会と資金管理団体の収支報告書を本人自ら届けた。
収支報告書は地元浜松の大手税理士事務所の監査人が念入りにチェックしたものである。私の秘書は一切収支報告書にタッチしていない。これまで会計責任者を務めて下さっているこの税理士法人坂本&パートナーに毎月約4万円の会計検査料及び会計ソフトリース代金を支払っていたが、今年からその他に毎年後援会と資金管理団体の二つの団体の関係でそれぞれ35万円づつ会計事務所さんへ監査代金を支払うことになった。私がこの税理士事務所の会計責任者の方を買収して不正をするように働きかけない限り、収支報告書の虚偽記載はまず起こりえないのである。
今日夕方静岡新聞と中日新聞の夕刊を見ると、静岡県選出の衆議院議員の資産が掲載されていた。私も含めて他の衆議院議員の資産(土地・家屋等の不動産、定期性預貯金、有価証券、自動車、美術工芸品、貸付金・借入金)も公開されていた。私の資産は普通自動車二台だけであったが(あとマイナスの資産である借金2000万円)、自動車0台という方々が結構いらした。ご夫人も含めて自分名義の自家用車がないのであろうか。不動産の評価額が実勢価格と比べてあまりにも低い(10分の1ー30分の1)方と自動車の保有台数がゼロ台という今時珍しい方がいらしたので思わずあれっと思ってしまった。
それにしても鳩山由紀夫総理大臣の資産はけた違いですごいなと思った。こんなに資産があるとさぞかし使い道に困るだろう。まさか今時ご自身の衆議院選挙などでばらまくわけはないから、一体何につかっていらっしゃるのかなとつくづく感じた次第である。
下の写真は、厚さ8センチ近い今回の収支報告書である。これ以外にも添付する必要のない10000円以下の領収書が1円以上からすべて事務所に保管してある。私城内実のような無所属国会議員と日本共産党所属国会議員を除いて国民の血税である政党交付金をもらっている方が大部分であるが、政党交付金をもらっている方こそ、私のようにもらっていない者よりもきちんと収支報告書を自らチェックしてもらいたいものである。
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5日(金)東京から浜松に新幹線で戻ってきた。先週の29日(金)は新幹線の事故で地元の会合に二時間遅れで出席したが、この日は新幹線は順調であった。16時03分東京駅発で浜松には17時33分着だった。
多少時間があったので、JR浜松駅北口で街頭演説を15分ほど行った。大勢の方が「がんばれ!」と声をかけてくださった。この日は大変寒い日であった。私の顔も耳を手も寒さで冷たくなった。
街頭演説を10分ほど続けていたところ、あるご婦人が私の方に近寄り、焼きたてのたいやきを一つ下さった。ほんとうに体も心もあたたかくなった。
こういう善良な地元のみなさんのあたたかいお気持ちがあるからこそ、どんなにつらくても活動を続けていけるのである。これからも世のため人のためがんばっていきたいと思った次第である。
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本5日、平沼赳夫先生が最高顧問、安倍晋三元総理が会長の真・保守政策研究会が名称を改めて創生『日本』という名で誕生した。私城内実も事務局次長として役員に名を連ねている。(注:当初このブログの記事で創世『日本』としましたが、これは創生『日本』の誤りでした。ご指摘ありがとうございました。訂正しました。2月8日追記。)
もともとこの会は今は亡き故中川昭一先生が会長を務めておられたが、前回の総選挙の後、中川先生が平沼赳夫先生に対し後継の会長として安倍晋三先生はどうかともちかけ、その後中川先生が亡くなられたことにより、新たに会を発足させることとなったのであった。
本日の会合は自民党本部で開かれた。平沼赳夫先生は約5年ぶりに党本部に足を運んだとのこと。安倍晋三元総理も気をつかわれて党本部の近くにある平沼赳夫先生の外事務所までわざわざ平沼先生をお迎えに行かれた。
私が自民党を追い出された頃とうってかわって党本部が閑散としていた。それもそのはず、先の衆議院選挙で自民党は大敗して野党となり、残るは100億円以上の借金だけであるからだ。
私の隣に座っておられた岩屋毅先生曰く、「城内君がいた頃は、朝の部会の朝食はお弁当であったが、今は経費節約のためおにぎりになってしまった。」。昔の栄華いまいずこ。
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(写真右から、安倍晋三会長、平沼赳夫最高顧問、古屋圭司副会長、衛藤晟一幹事長、加藤勝信事務局長)
今日は夜いろいろと会合があって遅く帰宅した。
明日は6時前に起きないといけないので今日はこれで失礼する。
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