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2010年2月の記事一覧

・午前10時00分
 コンテンツ文化研究会の代表と渉外担当のお二人が議員会館に来られた。児童ポルノ法についていろいろと説明してくださった。本件については、かつての与党自民党(当時)の法案の方が所持だけで問題になるというとんでもない案だったことを知る必要がある。まだ、野党民主党案(当時)の方がましなのである。
 この児童ポルノ法案も憲法の表現の自由を規制する可能性があるという意味で、私が命がけで闘った人権擁護法案と同じくらい深刻な中身である。
 要は児童虐待や児童が性的な商売の対象とされることを実質的に防げばよいのである。それが、表現の自由まで規制するなんでもありのばけもののような法案になったことが問題なのだ。例えば、良く議論に出てくる当時一世を風靡した宮沢りえの写真集「サンタフェ」だけではなく、18歳以下の女性の裸体を描いたり撮影した芸術家の作品が過去にさかのぼって違法だということになりかねないのだ。みなさんは、どう思われるか。
・午前11時00分
 バス二台で地元の城内実後援会のみなさんが国会見学にこられた。昨年の秋以来すでに2000人以上の後援会関係者のみなさんが東京を訪問。昼に議員会館の食堂で昼食をとった際に田中康夫議員がたまたまとおりかかり、私城内実のことを絶賛してくださったとのこと。深く感謝。
・午後0時00分
 平沼グループの会合を平沼先生の事務所で行う。元広島県選出の参議院議員の柏村武昭先生も合流された。いろいろと今後の政界再編問題について議論する。
・午後0時50分
 ドイツのシンクタンクであるStiftung Wissenschaft und Politik(=German Institute for Interenational and Security Affairs、ドイツ国際・安保問題研究所)の関係者およそ6名のみなさんと国会議事堂内の会派国守の会の控え室でお会いした。久々にドイツ語で会話した。みなさんは私に、是非第二のふるさとのドイツに今年か来年来ていただきたいとおっしゃってくださった。感謝感激である。
・午後1時00分
 衆議院本会議。鹿野道彦予算委員長解任決議案を野党自民党及び公明党が提出した。もちろん、与党の民主党、国民新党、社民党は反対の立場である。ところが、おもしろいことにみんなの党が賛成、日本共産党が棄権欠席であった。
 実はわれわれは事前の平沼グループの会合で民主、自民の勢力争いにつきあっている暇はないので、この際に旗幟鮮明にせず、棄権・欠席することとした。実際、平沼赳夫先生は最初から欠席、わが会派の小泉龍司先生と私は採決直前に本会議場を出た。二人ともはじめての棄権であった。
・午後1時20分
 私が非常勤講師を務めていた星さ国際高等学校の前理事長のIさんが来られて教育の現場の問題について貴重なご意見を拝聴した。
・午後2時30分
 町田市議会議員選挙の応援のために、小田急線の玉川学園駅前で歯科医のK先生と合流。一緒に市議候補を別々に激励する。私もメガホンを借りて玉川学園前駅の街頭に立った。
・午後5時30分
 日本会議の地方議員連盟・常任幹事会が開かれた。永住外国人の地方参政権問題と選択的夫婦別姓問題について地方から声をあげていただきたいとみなさんに檄を飛ばした。こうなったら良識あるみんなでがんばるしかない。
・午後5時50分
 創生『日本』のオフィシャルサイトの構築について議員会館の隣の部屋の古屋圭司先生と相談。
・午後6時30分
 ルポール麹町にて弁護士会の政治団体である弁政連の新春祝賀懇談会にほんの少し顔を出す。私が会場についたら、ちょうど弁護士出身の民主党の辻恵衆議院議員が熱弁をふるっておられた(ちなみに辻恵氏は大阪17区で西村真吾前代議士と同じ選挙区)。
・午後7時00分
 国民新党のQ氏X氏と、民主党のLさんの四人で夕食懇談会をした。私から選択的夫婦別姓の問題と外国人参政権問題についてお三方に与党の立場で反対していただくようにお願いした。彼らは命がけで反対してくれると確信した。 
・午後9時
 自民党のV氏と政界再編の問題について一対一で意見交換した。なかなか有意義であった。
(城内実も結構がんばっているじゃんと思う方もまだまだだと思う方も「政治ブログランキング」をクリック願います。)
 

 米議会の公聴会にトヨタの豊田社長を呼ぶ呼ばないという話になっているとの報道があった。
 しかしあの世界一のトヨタがいまや大変なことになっている。
 巨星ついに墜ちたという感じだ。
 トヨタといえば、小泉政権下でトヨタの会長で経団連会長(当時)でもあった奥田氏が郵政民営化を強引に進めたことが記憶に新しい。
 まさか天罰が下ったということではあるまい。

 16日(火)の夕刻に沖縄の那覇市にて前回の衆議院選挙で惜敗された國場幸之助さん(沖縄1区自民党、惜敗率81%)の後援会の会合があり、特別講師として東京からANA便にて沖縄に出向いた。
 恥ずかしながら生まれてはじめて沖縄の土を踏んだ。私は自民党議員ではない。でも、國場さんが昨年12月以来、三回にわたり東京の議員会館に私が不在中に足を運んで下さり、また丁重な手紙もいただいて講師として是非沖縄に来て欲しいと頼まれたので、今回重い腰をあげて沖縄に行った。そもそも國場さんは、自民党系の候補者であるのに、なぜ私のような無所属議員に声をかけてくださるのかと不思議に思った。
 私は、未だに昨年夏の真鍋かをりポスター事件がどうだとか、X氏と会って小沢一郎問題について意見交換したことが国策捜査の検察の手先でけしからんとか、私の父が神奈川県警本部長時代(?)に暴力団やら朝鮮総連やらオウム真理教やらとつながって國松孝次警察長官狙撃事件に荷担したとか(全く意味不明。なお、國松孝次さんは私の後援会副会長。)インターネットの工作員(?)の誇大妄想の情報をうのみにする匿名やらHNゲストのみなさんから次の選挙は落選確実と言われている、明日の我が身はどうなるかわからない、しがない野党系の無所属議員なのである。
 だからこそ、他人様の応援をするくらいであったら、次の選挙は本当に危ないので地元の静岡七区の地盤を固めないと失職(=落選)してまうわけである。前回の佐渡訪問を最後に、東京と浜松の地元以外に行くのはやめようと固く決意したのである。
 それでも、國場さんの心温まる手紙に、義理人情を重んじる城内実は不覚にも動かされてしまった。ちなみに、私の本会議の左隣の席は、國場さんの対抗馬の沖縄1区の現職の国民新党の下地幹郎先生であり、親しくさせていただいでいる。
 沖縄に行ってはじめて國場幸之助さんに会ってみたら私よりも8歳近く若いが、本当にまじめな良い青年(?)であった。永住外国人の参政権問題をはじめ国家解体法案について良く勉強していた。沖縄は左派勢力が強いだけにあまりにも全面に保守的な思想は出して大丈夫なのかとこちらが心配してしまったくらいである。ちなみに、沖縄県には保守系の野党国会議員は衆参あわせて島尻安伊子参議院議員(自民党)を除いて他の5人はいずれも与党民主党系の議員である。 
 國場さんを励ます会の懇親会の冒頭「かぎやで風」を生まれてはじめて体験した。
 17日の朝に那覇空港をたち、とんぼがえりで東京に着いた。午後3時から民主党の鳩山由紀夫総理と谷垣自民党総裁の党首討論があった。やや谷垣総裁の追求が甘かったのでがっかりした。
 午後4時には古屋圭司先生の依頼で「創生『日本』」のオフィシャルサイトをつくるために、この私のHPとブログを格安で作成してくださっている「フーリエ」のQ氏が議員会館に来た。
 夜は自民党の松山政司参議院議員のお誘いで漫画家の小林よしのり先生との夕食懇談会に参加させていただいた。途中9時過ぎに5年前に私の呼びかけで一緒に自民党法務部会で人権擁護法案に反対してくれた同志の古川よしひさ氏(宮崎3区)が合流。小林よしのり先生と皇室の将来について男系維持か女系かで論争していたが、日本の国を想う熱い気持ちは共通しており、二人の絆は強くなったと思われる。
 夜10半過ぎに帰宅した。たまたま自宅にあったSPレコードをかけた。それは、沖縄出身の東京音楽学校声楽科(今の東京芸術大学)を卒業した歌手の波平暁男(なみひらあきお)の南方節(川井三吉作詞、服部良一作曲)であった。
 このレコードは終戦前年の昭和19年に吹き込み発売されたものであった。生まれてはじめて訪問した沖縄から東京の宿舎に夜帰ってきて、最初にかけたレコードが沖縄出身歌手の戦時中の沖縄南方の新民謡であった。あまりの偶然にちょっと不気味になってしまった。こんなことってあるのだな。
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かぎやで風
かぎやで風。沖縄に来たと実感しました。
ニッチク南方節
昭和19年発売のニッチク南方節。歌手は沖縄県出身の波平暁男。

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