2009年12月の記事一覧
今日は天長節。午後1時からの天皇陛下誕生日の祝賀の宴におそれかしこくもお招きいただいた。
家内が朝一の新幹線にとびのってモーニングコートを浜松からもってきてくれた。このモーニングコートは父が使っていたものをなおしたもので、今日はじめて着たのであった。もしサイズがあわなかったらと思ったが、大丈夫だった。
むかし天皇陛下の通訳をさせていただいた時にモーニングコートを着たような記憶があるが、貸衣装屋さんから借りたのであった。人生これまで44年間生きているが、このようなものを着る機会が欧米人ならともかく、日本人ゆえにほとんどないのだ。
昨日モーニングコート用の靴も買わなければと思って、銀座の有名な靴屋さんに行ったら、自分がその時愛用してはいていた黒のプレイントゥで問題ないということであって安心した。何も買わないと申し訳ないので靴磨き用のブラシだけ買って帰り、家で靴を磨いた。
実はモーニングコート以外にも男性であれば、紋付羽織袴でも良いとのこと。でも、羽織袴は将来日本人として着てみたいなと思うが、まだ持っていない(野田聖子先生から来年一月の和装議連の案内をいただいたが、さ来年に先送りした。)
妻陽子とともに宮中に参内すると、大勢の方がいらしていた。鳩山総理以下およそ300名近い方々が招かれていたようだ。私はめったに緊張しない人間なのだが、ふだん着ないモーニングコートを着ていたのでその違和感もあってか平静を保つのに大変であった(実をいうと、ずぼんつりを忘れたので、ずぼんがずりさがるのも結構気になっていたのだ。この部分は秘。)。
大勢の国会議員の方が来ておられた。私がご挨拶した議員の先生は、到着時からの時系列で言うと、藤井裕久財務大臣、亀井静香金融担当大臣、三日月大造議員(民主党)、田島一成議員(民主党)、谷垣禎一自民党総裁、下地幹生議員(国民新党)、長谷川憲正議員(国民新党)、町村信孝議員(自民党)、石破茂自民党政調会長、松波健太議員(自民党)、鈴木宗男議員(新党大地)、福田康夫元総理、松原仁議員(民主党)、枝野幸男議員(民主党)、柿澤未途議員(みんなの党)、阪口直人議員(民主党)、松原仁議員(民主党)などであった。
私のような若輩者は当然末席であるので、陛下のお姿はほとんど見ることができなかったが、このような会に家内ともども出席することができたのは本当に光栄のいたりであった。宴は40分ほどであったが、雅楽の演奏もあってがなんだが長く感じられた。
東京事務所に車がないので(東京都内はふだんは歩きと地下鉄、バス、電車)、宮中の行きも帰りもタクシーだった。タクシーを使ったのはどうも私だけだったようである。タクシーといっても黒塗りのハイヤーのようなもので、さほど違和感がなくてなんとかまにあったのであった。
22日は、城内実後援会女性部の恒例の年末のバス旅行があった。今回は京都日帰り旅行である。
前日関西在住の若手のみなさんとの会があったので、そのまま京都に一泊し、女性部のみなさんを京都でお迎えした。
午前11時半に金閣寺の駐車場には、バスが5台が入り挨拶をする。
昼は村田大使との昼食会があったのでそちらに行ったが、さらに午後1時半頃には再び金閣寺に戻ってきて、第二陣のバス6台を金閣寺で迎えた。
結局バス11台、約400名近い方を京都にてお迎えしたのであった。昨日と違って今日は天気も良く観光日よりであったのがなによりである。
午後はそのまま浜松によらずに、京都から東京に戻り、チベット問題に詳しい有本香、大井功両先生と夕食をともにした。大変充実した一日であった。


午前11時半頃に7号車から11号車の5台が到着。


午後1時半過ぎには、1号車から6号車が到着。
22日の昼は私が公私ともに長年にわたってご指導いただいている村田良平元外務事務次官(その後、元駐米大使、駐独大使)が京都市内の某ホテルにて昼食に招いてくださった。村田大使が駐独大使の時に私は一年弱ほど秘書官の仕事をやらせていただいた。当時したっぱの外交官(二等書記官)の私にとって事務次官、駐米大使経験者のかばん持ちをできただけでもいろいろと勉強になり、幸せであった。村田大使は外交評論家の岡崎久彦氏と同期入省であるが、僭越ながら私は村田大使は戦後の数少ないわが国の国益を第一とする本物の外交官であると思っている。今回体調を崩されているにもかかわらず、お会いしてくださったことは本当に光栄であった。
村田大使は、今の民主党政権の外交政策、特に日米外交を嘆いておられた。(ちなみに、村田大使も城内実もどちらかというとアメリカには言うべきことははっきりと言うべきとの立場であり、いわゆる小泉竹中従米属国派と一線を画している。)また、例の核密約問題についても持論を述べておられ、大変参考になった。
私が外交官になりたいと思ったきっかけは、私が幼少時(小学校1ー4年、1971ー75年)に西ドイツに滞在していたおりに、当時の曽野明大使の公邸にてクリスマスの会に呼ばれ、声をかけられたことがきっかけであった。曽野大使は当時のソ連に対して大変厳しい見方をしておられた。子供ながら、冷戦のなんたるかを教えられたのである。曽野明大使は外務省退官後も言論活動を続けられ、月刊「正論」誌や今はなき「諸君!」などで健筆をふるっておられた。
学生時代に曽野明大使の講演会に出席してご挨拶したところ、「今の外務省はだめだ、外交官などめざすべきではない。」とたしなめられたことを今でも思い出す。曽野大使の予言どおりにソ連は崩壊し、城内実も外務省をやめてしまった。
村田大使に曽野明大使のことを話したらやはり同じように肯定的に評価されておられた。それに対して一部の戦前の枢軸派の大使についての批評もあり、近現代史をライフワークにしよと思う私にとって大変参考になった。
いずれにせよ、わが国の国益を考える上で、外交と国防のあり方をもっと真剣に考えなければならないと思った次第である。








