HOME > 2009

ブログ

2009年12月の記事一覧

 今年も大晦日がやってきた。
 今日の午後舞阪町のWさんから浜名湖の牡蠣を、新居町のNさんからはおせち料理をいただく。
 牡蠣は早速事務所のみんなでいただいた。
 夜家では年越しそばならぬ年越しうどんを食べた。
 ブログの読者のみなさま、今年は選挙の年。
 みなさまのご支援に改めて感謝申し上げる。
 来年はみなさんとともに政界再編の年にしたい。
牡蠣
うどん
 

 今日は朝から餅つきの会が何件かあったので出席した。どちらも何世代前から12月の30日に親戚縁者を呼んで餅つきを行っているとのこと。小学二年生の次男もきねをもってうすをついた。
 夜は毎年30日夜恒例の馬刺を食べる会に出席した。今年で七年連続で出席した。この地区は特に城内後援会が強いところで、先の衆議院選挙では候補者が私も含めて四名いたにもかかわらず6割近いダントツの得票率のところであった。カラオケを歌うように言われたので、田端義夫(かえり船)、小林旭(さすらい)、橋幸夫(高校三年生、いつでも夢を)の曲を歌った。本当はもう少し古い伊藤久男や霧島昇あたりを歌いたかったのだが・・・・。
 今日は朝から大いに充実した一日であった。
餅つき?
朝一で最初の新居町の餅つき会場へ。
餅つき?
次男が二番目の引佐町の餅つきの会にて生まれて初めて餅つきに挑戦
餅つき?
K村家の皆さんと集合写真
H城内後援会
馬刺の会

 いよいよ民主党が来年の通常国会で選択的夫婦別姓を導入すべく民法改正に着手するようだ。そうなると、子供は生まれる子ごとに、両親のどちらの苗字にするか、親が決めることになる。
 夫婦別姓問題は、日本の国柄や家族制度のあり方に関する重要な法案であり、それこそ在日外国人参政権問題、人権擁護法案などと同じくらい、国民が一部偏向マスコミの言説をうのみにすることなく(というかそもそも郵政民営化問題と同様まともに一番本質的な事実関係をとりあげていない)、充分時間をかけて議論を尽くした上で決めなければならない問題である。日本航空に対する政府保証がどうだとか、国債をどこまで発行するとか、ダム建設がどうかという問題とは次元が全く異なる問題なのである。
 もしも日本国民が充分時間をかけてあらゆる面で議論を尽くした結果、大多数の国民の声が選択的夫婦別姓にせよとの結論であるならば、私は祖国日本の将来は夫婦別姓を採用しているお隣の中国、韓国・北朝鮮や、太平洋の向こうのイラクやイランには厳しいが軍事大国中国にはたいへん優しいアメリカにでもおまかせして、第二のふるさとのヨーロッパにでも亡命しようかという気になるだろう(半分冗談ではあるが)。
 夫婦別姓導入論者の方の主張を100%否定するつもりはない。ただ、「家父長制」が差別の温床で云々というたぐいの議論は勘弁願いたい。いずれにせよ、「通称」を用いるなど、多少の不便はあるかもしれないが、どうしても配偶者の姓を使いたくないという方については、どこかで折り合いをつけるしかないのだ。別に女性の配偶者の姓でも良いが、どちらか一方の姓に統一しなければ社会的にも混乱を招きかねない。 
 また、選択的夫婦別姓は、行き過ぎた個人主義を助長し、家族の一体感を損ねることになる。そうでなくても、家族意識、共同体意識の低い人間が戦後のおかしな教育により、これまで粗製濫造されてきただけに要注意である。
 日本が真の独立国として、行き過ぎた個人主義や自分勝手主義から、共存共栄型で共同体を尊重する日本の本来の国柄に戻ったならばまだしも、そうではない現状では選択的夫婦別姓の導入は日本解体を一歩進める悪しき法改正となるであろう。

 中国共産党の一党独裁体制廃止を呼びかけた文書を発表しただけで、民主活動家の劉暁波氏が国家政権転覆扇動罪で懲役11年の実刑判決を受けた。(いったいこの国にはまともな言論の自由と報道の自由があるのだろうかと、中国に配慮して歴代総理に靖国参拝中止を進言しているような奥田前経団連会長や御手洗現会長のような経済人にあえて聞いてみたい。)
 すでにアメリカとヨーロッパでは、政府はじめ人権団体が抗議活動を開始している。
 来年いわゆる人権擁護法案や在日外国人の方々の地方参政権に関する法案を通常国会で成立させようとしている、民主党の鳩山総理、小沢一郎幹事長、千葉景子法務大臣も当然、欧米の自由と民主主義を信奉する方々と歩調を合わせて、劉暁波氏の実刑判決に対する抗議活動を国をあげて実施してくださるものと固く信じている。
 

 今から約10年ほど前に昭和八年の今上陛下御誕生のレコードについて文章を書いた。題して「皇太子殿下御誕生」ある。
 天皇陛下御在位20年の奉祝の会にて森光子さんがほんの少し歌って紹介してくださったのが、北原白秋作詩、中山晋平作曲「皇太子お生まれなつた」である。ご参考まで。
 
  

 今日の夕刊の一面に次のような記事が。
 文部科学省は25日、2013年度から実施する高校新学習指導要領の地理歴史解説書を公表。(前略)竹島問題については、具体的な記述を避けた。昨年初めて明記した中学社会科解説書と対照的な対応で、アジア重視を打ち出す鳩山政権が韓国側に配慮したとも受け取れる。(引用終わり)
 中学の社会科解説書に記載されているのに、高校の「地理歴史」で明記なしとはいったいどうなっているのだろうか。これが政権交代の結果か。民主党の「政治主導」によるものなのか。
 来年の通常国会の文部科学委員会においてこの問題について事実関係を問いただしたい。

 全国の城内実応援団の方から今年もクリスマスカードを多数いただいた。地元のI社長さんからはごちそうをいただいた。この場をお借りして感謝申し上げる。
クリスマスカード

 
 

 今日は天長節。午後1時からの天皇陛下誕生日の祝賀の宴におそれかしこくもお招きいただいた。
 家内が朝一の新幹線にとびのってモーニングコートを浜松からもってきてくれた。このモーニングコートは父が使っていたものをなおしたもので、今日はじめて着たのであった。もしサイズがあわなかったらと思ったが、大丈夫だった。
 むかし天皇陛下の通訳をさせていただいた時にモーニングコートを着たような記憶があるが、貸衣装屋さんから借りたのであった。人生これまで44年間生きているが、このようなものを着る機会が欧米人ならともかく、日本人ゆえにほとんどないのだ。
 昨日モーニングコート用の靴も買わなければと思って、銀座の有名な靴屋さんに行ったら、自分がその時愛用してはいていた黒のプレイントゥで問題ないということであって安心した。何も買わないと申し訳ないので靴磨き用のブラシだけ買って帰り、家で靴を磨いた。
 実はモーニングコート以外にも男性であれば、紋付羽織袴でも良いとのこと。でも、羽織袴は将来日本人として着てみたいなと思うが、まだ持っていない(野田聖子先生から来年一月の和装議連の案内をいただいたが、さ来年に先送りした。)
 妻陽子とともに宮中に参内すると、大勢の方がいらしていた。鳩山総理以下およそ300名近い方々が招かれていたようだ。私はめったに緊張しない人間なのだが、ふだん着ないモーニングコートを着ていたのでその違和感もあってか平静を保つのに大変であった(実をいうと、ずぼんつりを忘れたので、ずぼんがずりさがるのも結構気になっていたのだ。この部分は秘。)。
 大勢の国会議員の方が来ておられた。私がご挨拶した議員の先生は、到着時からの時系列で言うと、藤井裕久財務大臣、亀井静香金融担当大臣、三日月大造議員(民主党)、田島一成議員(民主党)、谷垣禎一自民党総裁、下地幹生議員(国民新党)、長谷川憲正議員(国民新党)、町村信孝議員(自民党)、石破茂自民党政調会長、松波健太議員(自民党)、鈴木宗男議員(新党大地)、福田康夫元総理、松原仁議員(民主党)、枝野幸男議員(民主党)、柿澤未途議員(みんなの党)、阪口直人議員(民主党)、松原仁議員(民主党)などであった。 
 私のような若輩者は当然末席であるので、陛下のお姿はほとんど見ることができなかったが、このような会に家内ともども出席することができたのは本当に光栄のいたりであった。宴は40分ほどであったが、雅楽の演奏もあってがなんだが長く感じられた。
 東京事務所に車がないので(東京都内はふだんは歩きと地下鉄、バス、電車)、宮中の行きも帰りもタクシーだった。タクシーを使ったのはどうも私だけだったようである。タクシーといっても黒塗りのハイヤーのようなもので、さほど違和感がなくてなんとかまにあったのであった。
 

 22日は、城内実後援会女性部の恒例の年末のバス旅行があった。今回は京都日帰り旅行である。
 前日関西在住の若手のみなさんとの会があったので、そのまま京都に一泊し、女性部のみなさんを京都でお迎えした。
 午前11時半に金閣寺の駐車場には、バスが5台が入り挨拶をする。
 昼は村田大使との昼食会があったのでそちらに行ったが、さらに午後1時半頃には再び金閣寺に戻ってきて、第二陣のバス6台を金閣寺で迎えた。
 結局バス11台、約400名近い方を京都にてお迎えしたのであった。昨日と違って今日は天気も良く観光日よりであったのがなによりである。
 午後はそのまま浜松によらずに、京都から東京に戻り、チベット問題に詳しい有本香、大井功両先生と夕食をともにした。大変充実した一日であった。
バス第一陣
バス第一陣その二
 午前11時半頃に7号車から11号車の5台が到着。
バス第二陣
バス第二陣その二
 午後1時半過ぎには、1号車から6号車が到着。

 22日の昼は私が公私ともに長年にわたってご指導いただいている村田良平元外務事務次官(その後、元駐米大使、駐独大使)が京都市内の某ホテルにて昼食に招いてくださった。村田大使が駐独大使の時に私は一年弱ほど秘書官の仕事をやらせていただいた。当時したっぱの外交官(二等書記官)の私にとって事務次官、駐米大使経験者のかばん持ちをできただけでもいろいろと勉強になり、幸せであった。村田大使は外交評論家の岡崎久彦氏と同期入省であるが、僭越ながら私は村田大使は戦後の数少ないわが国の国益を第一とする本物の外交官であると思っている。今回体調を崩されているにもかかわらず、お会いしてくださったことは本当に光栄であった。
 村田大使は、今の民主党政権の外交政策、特に日米外交を嘆いておられた。(ちなみに、村田大使も城内実もどちらかというとアメリカには言うべきことははっきりと言うべきとの立場であり、いわゆる小泉竹中従米属国派と一線を画している。)また、例の核密約問題についても持論を述べておられ、大変参考になった。
 私が外交官になりたいと思ったきっかけは、私が幼少時(小学校1ー4年、1971ー75年)に西ドイツに滞在していたおりに、当時の曽野明大使の公邸にてクリスマスの会に呼ばれ、声をかけられたことがきっかけであった。曽野大使は当時のソ連に対して大変厳しい見方をしておられた。子供ながら、冷戦のなんたるかを教えられたのである。曽野明大使は外務省退官後も言論活動を続けられ、月刊「正論」誌や今はなき「諸君!」などで健筆をふるっておられた。
 学生時代に曽野明大使の講演会に出席してご挨拶したところ、「今の外務省はだめだ、外交官などめざすべきではない。」とたしなめられたことを今でも思い出す。曽野大使の予言どおりにソ連は崩壊し、城内実も外務省をやめてしまった。
 村田大使に曽野明大使のことを話したらやはり同じように肯定的に評価されておられた。それに対して一部の戦前の枢軸派の大使についての批評もあり、近現代史をライフワークにしよと思う私にとって大変参考になった。
 いずれにせよ、わが国の国益を考える上で、外交と国防のあり方をもっと真剣に考えなければならないと思った次第である。
村田良平大使閣下

 
 

ブログ一覧へ戻る

ページの先頭へ