今日は朝から夜まで活動した。大変勉強となった一日であった。不思議な「ご縁」でさまざまな方々にお会いし、いろいろとご指導いただき、助けていただく。そういう毎日を送っている。
思うに、この世に生を受けて生かされていること自体に天に感謝しなければならない。自分の両親はじめ、ご先祖さまに対する恩も忘れてはならない。最近強く感じる。
今の日本の政治の現状を見るにつけ、なにか根本のところで間違っているのではないかと感じているのは私だけではあるまい。政治とは「まつりごと」でもある。「政」の訓読みは「まつりごと=(祭りごと)」である。祭りとは古今東西、神や霊との同化の行事を言う。「まつり(=ma・tsu・ri)」を私なりの感覚で解釈すると、天と地がつながる(「つ」)ことではないだろうか。
だとすれば、日本の政党はただお互いが対立するのではなく、日本本来の和の精神をもって国家国民ひいては、人類の平和のために天地の和通円満を旨とした共存共栄路線を歩むべきである。また、「まつりごと」であるからこそ、時には地上界のさまざまな現象だけではなく、より高度な「天意」や大自然の摂理のようなものにも思いをいたし、自らを反省して人類や森羅万象がより良く生かされるように配慮しなければならない。
この世の中まだまだ分からないことが多いが、このブログにわざわざコメントを書いて下さる皆様に対して常に感謝の気持ちを忘れずに、いろいろと学んでいきたい。









今までの色んな人達の血を引き継いで生きる『縦の糸』と、現世の縁で多くの方に育まれながら世間の中で生きる『横の糸』。この2つを感じて生きるか、そうでないかでは恐らく考え方はかなり違うのだと感じます。生きていく自らの意思と、生かされている見えないものの意思。どちらも大事にして生きなければと思うこの頃です。
郵政法案採決で反対票を投じられて以来、城内さんの信念、行動に共感し、応援しています。ブログも最初から読ませていただいております。
郵政選挙惜敗後、ただ落選したのではなく、長年政権政党で有り続けている党を追われ、敵に回してのこの二年半は、私どもには想像を絶する孤独との闘いの、道なき道を行くが如き日々であったろうと拝察します。
この間の記事に書かれたとおり、「一世一代の仕事をやり遂げたら五十台後半で隠居したい」というお気持ちになるのも無理はないと思います。
しかし、城内さんの今の時期のご経験が、後に国家の柱石(私は必ずそうなる、また、そうなるべきだと確信しています。)となられたときに、大いに活かされることになると思います。
ご期待申し上げております。
なお、以前の記事数件を読んだ際に気になったのですが、ご自分の「命」というものについては、「言霊」のほかに「文字霊」というものもあることを慮られ、軽々しくネガティブなことを書き及ぶことはなさらない方がよいと思います。
さて、私は、以前から、我が国は自衛や攻撃抑止のため憲法九条を即刻改正して戦争のできる国になるべきと考えていました。
しかし、最近考えが変わりました。
現在の国会の顔ぶれを見渡せば、多くが次に挙げるタイプのどれかに当てはまり、そんなことをするのは危険極まりなく、本当に恐ろしく思います。
① 侵略や、利権のための謀略目的の戦争を推進しそうなタイプ
(健常者のようだが本当は心か頭が病んでいる)
② ①のタイプに盲従しそうなタイプ
(健常者だが子供並みの判断力しかない。ゲーム感覚で政治に向き合っ ていると疑われる某参議院議員はこのタイプではないか)
③ ①のタイプに反対の意見を持つにも拘わらず同調してしまうことが有り 得るタイプ
(健常者で判断力もあるが保身優先なので意志を貫かない場合があ る。)
郵政のときに③の人たちが良心に従い意志を貫いていたら、現在の政界の有り様も少しは違っていたのではとも思います。そして、数多国会議員がいる中、本物は指を折って数える程であることがよく判りました。
自動車事故防止のため、成人でも精神的に問題のある人や子供並みの判断力しかない人等には運転免許証を与えてはならないのと同じです。
九条は暫くそのままにして、国家の成熟を促す方が先だと思いました。
それには、ひとつには、現在のマスコミの在り方こそ改革が必要だと思っています。真実の情報を国民に正確に伝える公器としての使命を果たすように。
不比等さま、横から失礼いたします。
>郵政のときに③の人たちが良心に従い意志を貫いていたら、現在の政界の有り様も少しは違っていたのではとも思います。そして、数多国会議員がいる中、本物は指を折って数える程であることがよく判りました。
このご意見に賛成です。ですが、憲法第9条は「国家の成熟」にとつて障碍ではないでせうか。マスコミ改革は重要ですが、憲法前文や第9条をそのままにして置いては百年河清を待つことになると思ひます。③のタイプはいつの世も多数派でせう。議論を興して彼等のうち相当数を味方にしなければならないと思ひます。
2月5日付の城内さんの記事に関連して、私は別のところで次のやうに書きました。
>日本政府が、これまでアメリカや支那(中国)の政府に言ふべきことを言
はなかつたのは何故か。憲法前文や憲法9条も大きな要因の一つであると
私は考へてゐます。こんな「当用憲法」によつて盲目的に「平和を愛する
諸国民」やアメリカに国防を依存し過ぎてきたことが、最終的には米中に
は逆へないといふ負け犬根性を育んでしまつたと考へてゐます。郵政カイ
カクも、この負け犬根性のためもあつて負けたと考へてゐます。
>国防は、国家にとつて最も大事な問題です。戦争に巻き込まれないやう政府
はあらゆる策略をめぐらして努力すべきですが、憲法の条文に頼らうとする
のは、世界に対しても日本国民に対しても無責任で恥かしいことです。
第9条を議論し続けることが、「マスコミ改革」、「国家の成熟」のために必要ではないでせうか。
吹放さま
ご意見真に正論、ご尤もです。
議論も大いに必要と思います。
私も前記のコメント内容は情けなさを感じながら書き綴ったのですが、やはり現実は、今の国会の顔触れが替わらない限り、九条を改正したところでまともな方向に進むとはとても思えません。
タイプ①の人たちには、心が病んでいても知的レヴェルは高くて悪知恵の働く人たちがいます。この人たちが権力が好きなあまり思考停止している人たちと組み、とんでもないことをしそうです。
やはり順番としては、先ず、国民の間に真実の情報への理解が充分に広まったうえで、選挙が行われ、本当の意味での選良が国政に携わるようになってからでなければと思います。
タイプ③の人たちは、意志が貫きやすい環境になれば、そうすると思いますし、タイプ②も、まやかしによる幻惑から覚めれば、本来持っている大人の判断力を回復する人が多いと思います。
時を得た後に改正されればこそ、改正された内容が、私どもにも納得し受け入れることができるようなものになり、運用にも間違いがないと考えております。
本当に最近の日本では目標設定がどうも間違っている気がしてなりません。
政治家だけじゃなくて、公務員もサラリーマンも自営業も「自分の為」ではなく、「他人の為」になってこそ裕福になる権利を持つのではないかと思います。
自分が選挙に受かるためパフォーマンスに終始している政治家が見られます。そして、その様な人に投票する有権者が居るのも(残念ながら)事実です。
より良い政治を実現するためには、政治家の意識だけではなく有権者の意識(投票基準・政治への関心)も大切だと、最近特に感じます。