私も二人の子供がいるが、今のところ子供には塾に通わせずにのびのびと育てている。私も子供の頃を思い出すと、父親の方針で塾には通っていなかった。中学三年生になって学校の勉強では不十分なので私から父に懇願して週一回日曜日だけの東京の塾に通わせてもらった。東京中の秀才が集まる塾で最初は圧倒された。当時横浜の田舎の市立中学校に在籍していた私は「東京の連中には負けないぞ!」という気概でがんばった。
それから、大学受験に失敗してから予備校に通ったが、高校の三年間は塾には一切通わなかった。今思えば受験テクニックを学ぶ上で塾は必要不可欠なのであろう。
しかし、昨今の殺傷事件や国政におけるごたごたを見るにつけ知識のつめこみよりも一般常識に欠けている人間が多すぎる観がある。
私の息子達には塾に行かす前にまず日本人として、田植えをさせたり、道徳を教えている。教育におかねをかければ良いというものではない。ただ、どんな裕福な家庭の子女であろうと卑屈にならずに、彼らに対して「自力」で勉強や運動で負けるなと教えている。
「和魂洋才」がうたわれて久しいが、私の子供達も洋才は結構であるが、和魂すなわち大和魂だけは大事にしてもらいたいと思っている。
参照:「西村幸祐-酔夢ing Voice」









恐らく【全人教育】こそが偏らない教育の規範になるものと思われます。
形式的なものばかりに価値をおかない、心と魂の本質的な大事さはなかなか学校だけでは教えきれないのでしょう。くどいようですが、教育は学校・家庭・社会が三位一体となって行うものと信じてやみません。
「受験対策」なんてよく言いますが、「対策」なんかしてどうするんだろう?
とよく思います。
パターンばっか詰め込んでなにか意味があるんでしょうか・・・
それで大学受かって、その後それ(受験対策勉強)が役立ってるなんて人がいったいどれだけいるのでしょう??
「常識」というものを身につけるのがなにより大事だと思います。
初めてあった人にすら敬語を話そうともしない人とか・・・
そして、「痛み」を知ることも、子供が育つ上で非常に重要だと思います。
今はTVにしろ社会にしろ、子供を「血」やら「暴力」やら「死」といったものから、神経質なまでに遠ざけようとしている気がします。
臭いものには蓋をしろとはよく言ったもので、蓋をしたってなくなることなんてありえません。
むしろそれを身をもって小さいときから知らないことの方が怖いです。
自分が体験したことのないものを理解するのは、自分から望んで理解しようと努力でもしない限りは、理解に近づくことすら出来ないと思います。
大人になってからそう簡単に人は変われないですので、子供の頃から、まず自分の痛みを知り、そして他人の痛みを知れるようになることが大事なんじゃないでしょうか?
誰にも優しい子供が理想ですかね
そして優しい大人になる・・・
理想論ですがそうあって欲しいですが
弱肉強食で何でもアリな時代にしてしまった政治がある以上
自衛しなくてはならないのかもしれませんね
今から40年前東京の西日暮里にある、K中学の受験に見事に失敗し泣きながら帰ってきた。小学校4年からY進学教室に通い最後一番上のクラスにいた。それでも12才の春は来なかった。まわりの慰めは通用せず多いにしずんだ。それでも人生はどうにでもなる。努力して勉強することは貴重なことである。ただ人生は今現在の心がけで新たに開かれるものであります。私を救ってくれたのはこれからの日本支えるのは受験エリートではなくどりょうくした落ちこぼれであると助言してくれた恩師の言葉であった。城内がんばれ!
やはり自然の恵みに感謝する心。一人で生きられない現実。共生と教育。でしょうか・・。
日々忙しく、子供と触れ合う時間も限られる現在、親として自分の子供に何をしてあげられるか?自問の日々です。せめて教えてあげられる事と言えば、「日本人としての誇りを持てよ」という事でしょうか?
何故日本人として誇れるのか?という回答を持っていなければならないので、こちらにお邪魔する次第です。
まず、人間が人間を好きになること。
そして、自然の中で生かされているということ
これ以上でもこれ以下でもないと思う。
わんぱくでもいいたくましく育ってほしい!
↑昔のCMのコピーだがこれでいいのだ!!