政治家(元衆議院議員)城内みのる、公式ホームページと政治ブログ 国家国民のために、信念を貫く男。万民幸福は私の究極の目標です。いかなる時も国家国民のため、信念を貫きます。

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篠原村

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篠原村

 今日は一月最後の日曜日であった。日曜日ということもあり、浜松市内各地でさまざまなイベントがあった。今日一日の出来事をこのブログに語るにはあまりにも濃い一日であった。
 朝の舞阪町から始まり、篠原地区、雄踏町、神久呂地区、都田地区、浜北等々広い選挙区を駆けめぐった。500枚程度用意した名刺も全部使い果たした。ありがたいことである。現職でもない私ごときの名刺を喜んでもらっていただけるだけでも感謝感激である。名刺どころか、ポスターを貼りたいので持ってこいという方もたくさんいらしたので、これには恐縮した。
 篠原地区というと、地元ではタマネギの産地で有名である。篠原公民館祭りが開催されていたためそこを訪れたところ、地元の皆様に歓迎された。公民館を出る頃には、タマネギや花や子供のお菓子などの食品を両手一杯にぶらさげていた。
 現在の篠原地区は明治22年に篠原村と馬郡村の合併によって生まれた。初代村長は鈴木直三郎であった(明治22~26年、30~34年二期村長)。篠原地区は、現在では、馬郡町、坪井町、篠原町の三町で構成される。余談であるが、私の父親の浜松西高の後輩で私の外務省の大先輩にあたる鈴木忠元カメルーン、スゥエーデン大使もこの篠原出身である。
 この地区の姓名で一番多いのが「鈴木」であり、それに次いで「那須田」、「江間」、「刑部」、「石津」、「堀内」、「河合」、「相曽」、「高柳」、「藤田」(順不同)といった名前の方々が多い。本家が分家し、いまでもこの地区に一族の末裔がどんどん誕生している。
 篠原村も昭和36年に相曽誠治村長(昭和28~29年、33~36年の二期村長)を最後に浜松市に合併された。あれから45有余年。その前の江戸時代をはるかにさかのぼる大昔から先達が苦難を乗り越え今の篠原地区の形を作り上げた。このことに感謝しつつ、故郷及び日本の繁栄を心から祈りたい。
                                 1月28日(日)                 
 

宮崎県知事選挙

 昨日も今日もテレビでは、宮崎県知事選挙で当選したそのまんま東氏の話題でもちきりだそうである(小生はほとんでテレビを見ないので良く分からないが)。
 中川秀直幹事長は、敗因を「保守分裂選挙だっから、負けた」とのたまわったそうであるが、そう言えば多くの国民は納得するかもしれないが、ことの真相はそう単純ではない。もし自民党内で保守分裂させたというのなら、その責任者の統率力が問われるわけである。その責任はきちっと本人が負うべきではないのか。
 そもそも今回の敗因は、一昨年に日本国民の負担が増えるかどうかろくにマスコミが中身を検証しなかった、例の郵政民営化○か×かの劇場型選挙が行われたことにあることは明らかである。私の同志である宮崎選出の若き古川禎久及び江藤拓代議士は、城内実同様郵政族でないにもかかわらず、族議員のレッテルを貼られ、無所属の出馬を余儀なくされた(宮崎は1区から3区しかない)。私も選挙の時に、某幹事長、T大臣(いずれも当時)に選挙区でマスコミが集まっている前でさんざん誹謗中傷された。その当時の記録は今手元にある。それでも臥薪嘗胆でぐっとがまんした。748票差、得票率にして1%以下である。
 古川、江藤、城内の我々三人組は、単にあまりにもアメリカの外資に都合の良い、三事業をばらばらにしての(要は構造的に赤字の郵便事業を切り離した)郵政民営化であるからこそ、悩みながら自己保身よりも郵政改悪法案に反対したまでである。宮崎は一昔前は自民党支持率が75%近い自民党王国であったそうである。今や45%すれすれ。小泉・竹中構造改革路線で地方が疲弊しきっている。票もカネももらえる都市部を中心とした都市型政治や、ホリエモン万歳、村上ファンド万歳、カネのあるところにむらがる利権型政治ばかりやっているから、地方が反乱を起こしたのである。
 今や全国で既存政党に対してノーがつきつけられている。誰とはここでは言わないが、有権者をなめきった権力亡者には早晩天誅が下るであろう。政界再編もあるかもしれない。自己保身の連中はおいておいて、老若男女が真相を知った時は日本が大きく激動の波にもまれるであろう。
 若者よ後に続くを信ず。魂は永遠である。
                              1月24日(水)
                            

森田実先生と平沼赳夫先生

 1月15日の月曜日は、昔の成人式の日である。いろいろなことがおきた一日であった。
 今日も地元の支援者の方のところをこまめに廻らせていただいた。その間、昼に政治評論家の森田実先生と電話で話す機会を得た。森田実先はこれまで何度も私城内実のことを先生のHPで紹介して下さった。本当にありがたいお方である。
 以前このブログで紹介した、関岡英之氏編集の『アメリカの日本改造計画』(イーストプレス社刊、¥1300+税)に森田実先生もインタビュー記事を載せておられる(P82~94)。タイトルは、『「日本独立」の気概は、どこで失われたのか?』。その中で「独立精神を捨てた政治指導者は日本民族の裏切り者です」、「対米従属的な政治家を否定することを、日本国民は決断すべきです」と述べられている。ここは本当に考えさせられる。
 ところで、ある方から平沼赳夫先生が倒れられたという連絡を昨日受けた。昨年の復党騒動で身を挺して中川秀直幹事長と渡り合い、その結果相当の心労があったのであろう。信念を貫く姿は本当に私の見本となるお方である。
 平沼赳夫先生の速やかなご回復を心よりお祈り申し上げる。
                           1月16日(火)

 

1月中旬

 あっという間に新しい年を迎えてもう2週間近くたった。さ来週の25日に通常国会が開かれるという。
 現在浪人中であるが、今日も地元の交差点で街頭演説をしたら、わざわざ車から降りて激励に来てくれた方がいた。大変ありがたいことである。
 元旦から毎日間断なく続けている街頭演説も根性で一日も欠かさず続けていきたい。
                                  1月12日(金)

成人式と国民の祝日

 今年の成人式は1月8日(月)であった。去年は1月9日(月)、つまり、第二月曜日が成人式ということである。昔は曜日にかかわらず1月15日が成人式であった。隔世の感あり。
 年によって成人式の日が変わるが、どうも釈然としない。国民の祝日とは本来決まった日に定められるべきである。これはご都合主義の最たるものだ。
 特に5月4日のみどりの日は、単に5月3日の憲法記念日と5月5日の端午の節句すなわち子供の日に挟まれているために設けられた場当たり的な祝日である。国民の祝日というのは何か尊いものに感謝する記念日でなければならない。なぜ、5月4日にみどりに感謝しなければならないのか。その必然性が分からない。別に「みどり」にこだわるのなら、松の新芽が「みどり立つ」時期でも、桜の咲く季節(「桜の日」=「みどりの日」)でも良いのではないか。
 私はどちらかというと保守的な人間だが、それならいっそうのこと5月4日ではなく、5月1日のメーデーを国民の祝日にすべきではないかと考える。現在戦後のいざなぎ景気を超える長期の景気上昇期を記録したと大本営の政府は発表しているが、それが事実であるかどうかは別として、そうであるならばその景気を支えている大企業、中小企業の労働者、勤労者の汗とほこりと油にまみれた労働という尊い行為に感謝すべきではないだろうか(なぜ5月1日が労働、勤労感謝の日でないのか不思議である)。
 「建国記念日(紀元節)」にしても、 「文化の日(明治節)」にしても、「勤労感謝の日(新嘗祭)」にしても、「昭和の日」にしても、国民がその祝日の持つ意味を理解し、毎日とは言わないが、折に触れてそのことに感謝するのではなければ、何のための国民の祝日か分からない。
 こんなことを言っても悪しき近代合理主義に染まったひとたちには分からないのではないかと危惧している。
                               1月10日(水)

再び『奪われる日本』

 昨年紹介した関岡英之著『奪われる日本』(講談社)の売り上げが著者によると今ひとつのびなやんでいるとのことである。
 それでも、昨年末に関岡英之氏責任編集で『アメリカの日本改造計画』(イーストプレス社)を出したことにより、『奪われる日本』や『拒否できない日本』もじょじょに売れてくるのではないかと思う。
 このブログの読者は是非『アメリカの日本改造計画』を購入していただきたい。ここに書かれていることが、絵空事かそれとも真相かその判断は読者自身がなすべきである。
                               1月3日(水)

謹賀新年

 新年あけましておめでとうございます。
(なぜかパソコンに「しんねん」と打ったら「新年」ではなく「信念」と出てきました。「人の心はカネで買える」とおっしゃったお方もおりますが、「モノ、カネ」よりも「ココロ」を大事みにする時代がもうそこまで来ている。)
今年も信念を貫く姿勢を変えずにぶれずに地道に活動を続けて参りたいと思います。
どうか今年もよろしくお願い申し上げます。
                      平成19年元旦