2006年5月の記事一覧
ある方を通じて英国在住の方から次のようなメールが届きました。ご参考まで。なお、この方は現在日本の会社に在籍しながらオックスフォードの客員研究員をなさっています。
「城内実氏の投稿には全く賛成です。
私は現在英国の大学に在籍して1年になりますが、さほど流暢には英語を話すことが出来ません。
しかし、英国人に日本のことを、特に伝統的な文化や歴史(天皇制のことなど)の話をすると教養ある人ほど大変興味を持って聞いてもらうことが出来ます。
武道の話もそうです。私は中学校のときに学校の部活で柔道をやっていて初段を持っています。
大して強くも無かったのですが、ブラックベルトを持っているというと話も弾み、大学で指導してくれないかとの誘いも受けました(結局、自信が無くて断ってしまいましたが)。渡英後友達もなく寂しい状況でしたので、柔道の話題にはとても助けられた面があります。
外国では日本の話をすることが求められます。そのときに日本の伝統についてきちんと説明できれば彼らの見る目も全然違ってくるのです。
まずは自国の伝統・歴史を知るのが国際化への遠いようで最も近い道だと思います。 」
5月31日(水)
今日は日曜日、天気予報は浜松は雨だったが、日中は晴天であった。地元の障害者の授産施設「ふれあい作業所」のA所長さんに呼ばれて年に一度のバーベキュー大会に参加させていただいた。今日は竜洋海浜公園でバーベキューがあったが、この催し物は二十年以上続いている年中行事である。
障害者自立支援法案も郵政民営化法案と同じく、現場の声が全く無視されて官僚や諮問会議のお偉いさんの声だけで強行突破されたのである。思うに、誰のための政治なのか。
グローバリゼーションという名の下のアメリカ化を進めれば果たして日本国民が幸せになるのかどうか多くの問題提起がなされるようになった。一般大衆はこの閉塞感を打ち破って欲しいと思い、現政権に託したのである。ところが、ふたを開けてみればこのままだと新たな既得権を生むような、勝ち組はいつまでも勝ち続けるような弱肉強食社会が到来しないか。
権力の中枢に食い込み、インサイダー情報で株を売ったり買ったりして巨万の富を築くようなやからがこれからの日本の改革の旗手として一般庶民を支配するのである。国会議員の中にも資産公開で株を大量に持っている者がいるが、その中にもしかしたら政府、特に大蔵省からのインサイダー情報の恩恵にあずかった者がいないのか、じっくりと検証する必要がある。
私は現職の頃、資産公開でもっとも資産の少ない国会議員の代表格であった。でも別に資産なんかなくても家族四人が生活できれば良いと思い、現職の国会議員の時分に、給料とわずかな支援でなんとかまかなっていた。給料の大半は私設秘書の人件費にあてた。そのため、現職の頃なんとか家族で生活するために家賃の少ない住居に移転した。ところが、マスコミは私が落選後、視聴率をあげるためとんでもない報道をした。城内実は落選したから家賃の安いところに引っ越したというフィクションをやってのけたのである。マスコミのやらせは日常茶飯事であるが、本当に今のテレビや新聞は腐っている。
権力につきしたがっている、勝ち馬に乗ることばかり考えているような理念無き権力亡者があまりにもはびこっている。そのことに良識ある国民は気がつき始めている。
権力亡者の社会ではなく、障害者をはじめ生活弱者のことをしっかりと考え、彼らあるいは彼女らの立場に立ち、障害者の方々が住みよい社会を作らなければならない。強者の論理で政治をしてはならない。
5月29日(月)
オーストラリア在住の主婦C.H.さんからコンビニの弊害についてのメールを頂いた。
私が以前、「日本は便利になりすぎて、大切なものをどんどん失っている。(中略)効率性や市場原理主義、自由競争を追求するあまり、それに伴い地域の大切なもの(文化)が失われつつある。」とブログに書いたところ共鳴されたとのこと。
以下ご本人の許可を得て、転載する。(正確を期すため原文のまま転載する)
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私は東京育ちで、東京では車より電車の移動が便利なので、電車でお目当ての町に出かけて、ぶらぶらと町を歩くのが好きでした。昔は地方でも、「町をぶらぶら歩く」ことが出来たかも知れませんが、今は車社会になり、大型店ばかりが目立って、どこの地方都市に行っても同じような風景なのには興ざめです。
またコンビニや携帯電話によって、「便利すぎる」世の中になっているのが、果たして良いものか、非常に疑問です。
先日、小学生の子供が栄養不足で、学校の校長先生が牛乳を飲ませてやっていたというニュースがありました。
<栄養失調児>校長見かねて、こっそり牛乳飲ます
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000010-mai-soci
今回例に挙げられていた親御さんがコンビニを経営しているということを読んで、私がここ十年あまり考えてきた「コンビニの社会的弊害」について思い出しました。
私は十年ほど前、イタリアのミラノに住んでいました。ご存じかと思いますがミラノにはコンビニが無く、しかも城内さんの書かれていたように日曜と月曜の午前中はほとんど全ての商店が休みになります。
日本の便利な生活に慣れていたので、最初はものすごく不便に感じましたが、そのうち、買い物ができないことを見越して事前に計画的に買って置いたり、どうしても必要でないものはあきらめたりして、うまく暮らすことが出来るようになりました。
そうなってみると、日本の便利さは異常に感じ、そのための弊害の方が多く目に付くようになりました。
以下、私の感じているコンビニの弊害を箇条書きにしてみます。
?いつでも、どこでも、好きなものが手にはいるのが当たり前になり、我慢の出来ない人間が増えていく。
?危険予知能力というと大袈裟ですが、次に起こることを予測してそれに備えておく力がなくなる。
?夜中に外出する子供達が増える。夜型の人間になっていくし、非行にもつながる。
?夜中の営業に使用する電気の無駄遣い、それに伴う地球温暖化(?)。
?家庭での調理が減り、家庭の「生活力」がなくなる。
?食品廃棄の増加。品揃え充実のため賞味期限切れ廃棄を奨励しているチェーンがある
というニュースもありました。
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/060425boushoku.html
?コンビニ経営者の劣悪な労働条件。
今思いつくところは以上です。
?については、今回のニュースで追加しました。
ご存じかも知れませんが、ちょっと補足を。コンビニは、チェーン本部とフランチャイズ契約を結んで個人が経営しているところが多いのですが、その契約内容は異常です。
365日24時間営業を守れなければ、莫大な違約金を取られるので、親の葬式にも店を閉められないそうです。その他にもいろいろと条件があり、コンビニ経営者の労働時間、労働環境はひどいようです。
アルバイトを入れると赤字になってしまうような店では、妻が昼間、夫が夜間の店番をすることになり、家族が皆一緒に過ごす時間などなくなってしまうのです。
今回のニュースも、「子供がかわいそう。ひどい親だ。」と思いながら、一方でこの親たちも、コンビニシステムの被害者ではないかという思いが頭をよぎりました。たぶん今の日本では、コンビニが無くなったら困るという人の方が多いでしょう。昔とは生活様式が変わって、全てを無くすなどとても無理だと思います。でも全てのコンビニで365日24時間営業している必要はなく、逆にその弊害の方が大きいと思います。イタリアでは、日曜と月曜の午前中、昼休み、深夜の営業は、基本的に禁止ですが、どうしても営業したい場合には、課税されて営業してもよいことになっていました。
そのような工夫で、人間らしい、自然な営業形態に戻せないものでしょうか。
城内さんも同じようなことを書かれていたので、長年の思いを書いてみました。長文失礼いたしました。
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私城内は、コンビニは便利なので良く使い、夜も開いてて良かったと思うことがあるが、あまりにも町中にコンビにが氾濫すると、C.H.さんご指摘のような弊害が出てくると思う。みなさんはどう思われたか?
5月26日(金)
さきほどまで支援者のひげことJさんと夕食をともにした。Jさんは剣道三段である。「小学校低学年から体育の授業に日本武道を、英語を教えるなら国語を」という私の持論を開陳したら大いに賛同してくれた。
また、今日多くの方からメールやFAXが届いた。昨日は一日数十名したこのブログを見ていないと書いたが、「毎日見ているから頻繁に更新してくれ」とか、「パソコンを開くとあなたのブログからまず見ます」などという大変ありがたいことに大勢の方々から反応があった。こういう方々がかりに一人でもいる限りしっかりと自分の思うところを伝えていかなければなるまい。
平成18年5月23日(火)
いつも私のつたないブログの文章を読んでいただき感謝申し上げます。
私のブログですから、一日に読んでらっしゃる方々はそれほど多くないと思いますが(数十名くらい?)ご意見等ありましたら、メール(minoru.kiuchi@nifty.com)またはFAX(053-430-5756)、郵送(〒433
8112浜松市初生町691?1)にて御願いします。貴重なご意見として今後の活動の参考にさせていただきます。
5月22日(月)
何度も言うように、私は欧州に10年近く住み欧州は第二の故郷である。欧州を訪問するたびに懐かしくなり、かつての欧州に滞在していた自分に戻る。欧州の自然、文化に触れるたびに懐かしく感動する。しかし、自分はあくまでも日本語を母国語にする日本人である。私も多少の英語、ドイツ語を話すが、やはり日本語が母国語なのである。
別に英語やドイツ語ができなくても日本語さえできればそれで充分である。日本人は日本人であることのありがたさを良く分かっていないのではないかと思う。ライブドアのホリエモンは、日本もアメリカも金儲けの観点から関係ないとのたまわったそうであるが、これこそ典型的な「井の中の蛙」であり悪い意味での田舎の日本人である。
実は大いに日本かアメリカか他国かで違うのである。本当の田舎のまっとうな日本人はそのことを分かっている。
残念なことに日本人は外国語が不得意である。私はそれで良いと思う。なぜなら、世界の最強の覇権国のアメリカと中国の一般市民も外国語が不得意であるからである。オランダ人は本当に英語とドイツ語が得意である。フィリピンの友人もインドの友人も英語が得意である。その歴史的背景に思いを馳せる時、我々は日本人はそのことを納得する。
近代合理主義の立場からは、英語のようなアングロサクソン系の言語が世界標準語になるのだろうが、日本の和歌や俳句のにみられるように情緒を重んじるような言語こそ実は本当の神のことばに近いような気がしてならない。言霊(ことだま)というものがあるが、英語とドイツ語からはほとんど言霊は伝わらない、日本語の微妙な音からくるかみがかりてきなものを感じるときがある。みなさんはどうであろうか。1+2=3というような、西欧の近代合理主義に染まった日本人には分からないだろうが、都会の喧噪を離れ奥深い山に数週間もいれば感じるであろう日本の国土の霊性について考えさせらることがある。
やまとごころについて最近気がかりである。おそらくやまとごころをきちんと理解せずして、西欧文化を正しく理解できない。そう感じる今日この頃である。
5月22日(月)
秋田で小学校一年生の男の子が殺された。自分も長男が小学校一年生で、この子のご両親の気持ちを思うと胸がはりさける思いである。それにしてもテレビを見て不愉快になった。こういう事件が起こるたびに事件を期待していて、第三者的なまるでひとごとのような報道ぶりばかりである。もし自分の子供が同じ目に遭ったら同じようにおもしろおかしく報道されても良いのだろうか。
おもしろおかしく報道する暇があったら、なぜこのような事件がおこるのか、このような事件がおこらないようにするにはどうしたら良いかきちんと報道して欲しい。あまりにも刹那的で場当たり的で、おもしろければ良い、じゃんけんぽんの今の劇場型の政治は狂っている。政治が悪いからこんな事件が起こるのだというような報道がなぜなされないのか。マスコミは権力に弱い。弱気をくじき強気を助ける。どこかの広告代理店のいいなりだ。
国民はもっとこのような事件に怒りのこぶしをあげなければならない。邪悪な連中にやりたいほうだいやられ、かげで泣いている善良な市民が大勢いることを忘れてはならない。
5月21日(日)
以前ブログに小学生に英語教育を義務づけることを内容とする中教審の答申には賛成できないと書いた。英語を教える暇があったらその分国語をもっと教えなければならない。しかも、国語の授業の中身は日本人としてのこころ、すなわちやまとごころを涵養するような内容にすべきである。小学生低学年から和歌(特に万葉集)や俳句に親しませたらどうか。
また、中学校から習う英語の教科書の中身も、生徒にアングロサクソンの生活や文化に親しませることを主眼とするのではなくて、外国人に対して日本の伝統文化や歴史を英語で説明することを目的とするような内容にすべきではないか。
ところで、よく外国人に対して日本のことを悪く言う、「反日」日本人がいるが、この種の人間は外国のまっとうな人間からは決して尊敬されない。それどころか軽蔑される。逆に、外国人に対して日本の伝統文化や歴史について誇りを持ってきちんと説明できる人間は尊敬される。
最近ふと小学校の体育の授業も抜本的に変えたらと思った。人に会っても挨拶しないようなあまりにも礼儀作法に欠ける非常識な子供たちが(ごくたまに大人にもいるが)増えてきている。道徳教育が不十分であることにもよろう。幼少時からきちんと礼儀作法をたたき込まなくてはならない。
そこで、小学校一年生くらいから体育の授業に武道を教えたらどうだろうか。○○道というと、武道、華道、茶道等あるが、どれも礼に始まり礼に終わり、礼儀作法の「形や型」を重んじる。武道には、合気道、柔道、空手道、剣道、弓道等あるが、どれも健全な肉体だけでなく、健全な精神の修養にもなる。まさに一石二鳥である。
私は小学校一年生から四年生までドイツの小学校で過ごしたので日本に戻ってからもサッカーばかりやっていた。その点武道のたしなみがあまりなく、今では残念に思っている。サッカー、野球、水泳、バレーボール、バスケットボールの球技や陸上競技等ももちろん結構であるが、それとは別に、小さい頃から専門の師範を通じて武術のみならず武道の精神を子供たちに教えようではないか。そうすれば、自然と礼儀作法も身につく。体育の授業がそのまま道徳の授業にもなる。
外国に滞在した時、日本の武道のたしなみがあると本当にまわりから尊敬される。そういう日本人が何人かいたが、そうでない私は本当に彼らがうらやまかった。東洋人をばかにしているような白人であっても、柔道のブラック・ベルト(=黒帯、有段者)を持っているぞとさりげなくいうと、ころっと態度が変わる。ちょっと相手の倒し方を教えてくれないかと言ってきたりするそうだ。私はドイツ滞在中ドイツ人なみにサッカーが出来たが、全く尊敬されなかった。当たり前と言えば当たり前か。しかし、武道やお華やお茶なんか結構いいかげんであっても多少の心得があれば欧米人から尊敬される。とても教えられないようなレベルであっても、カルチャーセンターの講師になってくれと言われたりして、困ったりするケースもあるそうである。
昨今教育基本法を改正して「愛国心」をどうするこうすると議論しているようだが、その前にやるべきことは教育現場の実態を踏まえて子供たちをまっとうな人間、まっとうな日本人に育てていくことである。小学生の頃から武道に親しみ、国語でやまとごころを学び、社会科の授業を通じて自国の歴史と伝統・文化に誇りを持ち、中学生になって外国人に対して日本のことを多少英語で話せるようになれば、教育基本法にわざわざ「愛国心」を入れなくても良いし、国旗国歌法の必要もなかろう。
子供たちの将来のため、日本の将来のため、毎週一こまでも良いので武道を必修科目にすべきである。
5月20日(土)
昨日は雨だったが、今日は晴れだった。
ちょうど今、地元の旧浜北市の駅前の「ぎゅうとら」さんのところで数人で会合をしてから戻ったところである。「ぎゅうとら」さんの息子さんは高校一年生で政治に大変関心がある。テレビの政治関連の番組は全て録画しているという。
こういう政治に関心を持っている若い人が増えるのは良いことだ。
ただ、劇場型のパフォーマンス政治ではなくて、地味でも本当に国家国民のためになる政治とは何かということを見極める目を養って欲しい。
5月14日(日)
地元のS佐織さんから励ましのお手紙を頂いた。その中に次のマザー・テレサの言葉があった。以下に引用させて頂く。
人は不合理、非論理 利己的です 気にすることなく人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく善を行いなさい
目的を達しようとするとき邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらく次の日に忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷付けるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが壊されるでしょう
気にすることなく作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく助け続けなさい
あなたの中の最良のものを世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
マザー・テレサ
今日雨の日であったが、地元の資源回収のボランティアに参加した。善い行いをしても明日に忘れられようが、気にすることなく続けていきたい。
5月13日(土)







