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あこがれの白洲次郎

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 みなさんは白洲次郎という男をご存じだろうか。明治生まれのカントリージェントルマン。大正時代に英国に留学、英国製のベントレーに乗ってヨーロッパを駆けめぐった快男児である。終戦後はその英語力を買われ、吉田総理の下でGHQの米国人をやりこめたことでも有名な人物である。東北電力の会長をしたが、常に裏方で影響を及ぼした人である。
 城内実の昔からのあこがれの人物が白洲次郎である。生粋の日本人なのかブリティッシュ・エスタブリッシュメントなのかよく分からないが、本当にかっこ良い。今日、浜松の本屋さんで「白洲次郎の流儀」(新潮社)という本を買ったが写真も豊富でおすすめの一冊である。
 私の実家は浜松の上浅田町という駅の南の地区で戦後から「城内商店」という六畳程度の狭い店で農機具、消化器、ペンキをごく最近まで半世紀にわたり商売していた。しがない商店なので父は大変苦労してなんとか進学することができた。貧しさ故に父の姉は戦後結核で亡くなり、父も家業を継ぐか進学するかの瀬戸際にあった。なんとか地元の浜松西高を卒業して浪人してアルバイトをしながら大学に進学した。アルバイト代のほとんどは親兄弟に仕送りし、家族を養っていた。その城内家の家計の一部支えていたのが私の母方の祖父である。大学生の父はまだ当時高校生の母の弟の家庭教師であった。つまり父のバイト先だったのである。
 母の父親も苦労にんである。秋田の雄勝郡の田舎の農家の次男坊であった祖父は大正時代に東京に出稼ぎに来て、ありとあらゆる底辺の仕事をした。昼はレストランの皿洗い、くずや、テキ屋はじめあらゆる職業に携わり、夜は日大の夜学に通って勉強をした。20近くの仕事を転々とし、私の母が生まれた昭和13年にはようやく税理士関係の仕事をするようになった。祖父が亡くなったのは昭和五十三年であったが亡くなった時には公認会計士までのぼりつめていた。本当に努力の人であった。
 父方も母方もどちらかというと金銭的には当初あまりめぐまれていない家庭であった。それだけに努力をすることの大切さを学んだのであった。日本一庶民的な妻も同様である。
 ダンディでスケールの大きい白洲次郎のような人物に妻もこんなすてきな人と結婚したかったわと言ってあこがれるのである。くやしいけれども私もつつましい家庭で育ったがゆえに、男ながら白洲次郎さんのような男気あふれる大人物に惚れてしまうのであった。
                            4月21日(金)


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コメント

  1. 匿名 2009年3月7日 21:42:55

    今晩は、ドラマスペシャル・白洲次郎を見ています。大根や、農作業を見ながら城内先生が、TVの画面から、彷彿しています。平成の激動の時代に、こんな頼もしい男がいたんだ!貴方がた、若い人には、未来がある、また、その未来を背負う子供たちの為、人類の為に尽力してください。注・体の限界を超えないように、くれぐれも、ご自愛ください。

  2. 天池治彦 2010年8月15日 15:53:52

    白洲次郎の人物のように信念を最後まで貫いていくことを祈りたい。

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