2006-03-31 22:22 by 城内 実 ・ カテゴリ»
政治
3月24日(金)から26日(日)の日程で日本経営道協会主催の高野山の修行に参加した。同協会の市川覚峯先生は私の精神面の師匠である。
高野山における堂巡り、墓碑巡りを通じて弘法大師様の偉大さに感銘を受けた。「南無大師遍照金剛」を唱えながら、夜中同じ修行仲間とともに奥の院まで歩行行をおこなった。仲間は通常見えないものを見たり、音を聞いたりしたようである。私はまだ修行が足らず、雑念や煩悩がなかなか去らないのでそのような具体的な神秘体験はなかったが、弘法大師様の美しい「気」に触れたことにより、心と体が確かにリフレッシュした。
世の中には説明の付かない不思議なことが時々起こる。それが神のなせるわざなのかどうか分からないが、そのような現象に対して神がかり的なものを感じてしまうのが古今東西のごく一般の人間である。我が国には「敬神崇祖」ということばがあるが、神や仏を信じお参りをし、ご先祖様に感謝の気持ちを伝えることを怠らなければ、今生(こんじょう)のみならず、あの世においても「徳」の貯金が増え、子々孫々が幸せになれる。
行きすぎた合理主義や経済至上主義、市場原理主義の後に来るものは感性や情緒を大切にするスピリチュアル(霊的な)世界である。そのことに多くの国民が気づき始めている。
3月31日(金)
2006-03-31 15:29 by 城内 実 ・ カテゴリ»
政治
今日は朝から晴天の一日であったが、とても寒い一日であった。いわゆる花冷えといものなのだろうか。最近本格的に俳句をつくるようになって、「花冷え」などという言葉が口からでるようになる。日本人の季節感、情緒の豊かさに改めて驚くことしきりである。これは俳句ではなく短歌であるが、さくらというと次の短歌をつい口ずさむ。
しきしまのやまと心を人とはば 朝日にほふ山ざくらばな
本居宣長が詠んだ歌であるが、確かに実感として桜はやまと心を象徴する花であると思う。
西洋のバラは確かに美しいが、とげがあり朽ち果てるときは醜い。まるで生命に執着しているかのようだ。確か新渡戸稲造の「武士道」にそんなことが書かれていた。
幼少時も含めて10年間ヨーロッパで生活し、西洋の美といものをいやというほど見てきた私であるが、自分のDNAの中には日本人としての美的感覚や大和魂が脈々と受け継がれており、桜を見ると理屈抜きに心を動かされる。
春の生気あふれる朝日を全身に浴び、桜の花が満開。ただそれだけでいいようのない幸福感に酔いしれてしまう。その背後に霊峰富士でもそびえてようものなら、もう最高である。外国人も感動する光景である。
特攻隊をはじめ戦争で桜の花のように散ることを「散華(さんげ)」と表現する。先の大戦で散華された若き特攻隊員は、もうじきに散ってしまうきょうの桜の花とだぶって目にうつってしまう。命はかなく美しく散っていっただけに切なく悲しい。二度と戦争を起こしてはならないし、戦争をあまりにも美化してはならないが、散華された英霊には改めて感謝と哀悼の気持ちを捧げたい。
自分はまだ40歳であるが、いつ死ぬか分からない。病気になるかもしれないし、事故にあって不慮の死を遂げるかもしれない。人権擁護法案、郵政民営化法案はじめ権力の一番のタブーに触れてしまったため反対勢力に殺されるかもしれない(冗談で言っているのではない)。しかし、私も桜の花のように、国家国民のため、武士道精神にのっとって散るときは潔く散りたい。
その時は「後に続くを信ず」。
3月31日(金)