政治家(元衆議院議員)城内みのる、公式ホームページと政治ブログ 国家国民のために、信念を貫く男。万民幸福は私の究極の目標です。いかなる時も国家国民のため、信念を貫きます。

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高野山と弘法大師

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高野山と弘法大師

 3月24日(金)から26日(日)の日程で日本経営道協会主催の高野山の修行に参加した。同協会の市川覚峯先生は私の精神面の師匠である。
 高野山における堂巡り、墓碑巡りを通じて弘法大師様の偉大さに感銘を受けた。「南無大師遍照金剛」を唱えながら、夜中同じ修行仲間とともに奥の院まで歩行行をおこなった。仲間は通常見えないものを見たり、音を聞いたりしたようである。私はまだ修行が足らず、雑念や煩悩がなかなか去らないのでそのような具体的な神秘体験はなかったが、弘法大師様の美しい「気」に触れたことにより、心と体が確かにリフレッシュした。
 世の中には説明の付かない不思議なことが時々起こる。それが神のなせるわざなのかどうか分からないが、そのような現象に対して神がかり的なものを感じてしまうのが古今東西のごく一般の人間である。我が国には「敬神崇祖」ということばがあるが、神や仏を信じお参りをし、ご先祖様に感謝の気持ちを伝えることを怠らなければ、今生(こんじょう)のみならず、あの世においても「徳」の貯金が増え、子々孫々が幸せになれる。
 行きすぎた合理主義や経済至上主義、市場原理主義の後に来るものは感性や情緒を大切にするスピリチュアル(霊的な)世界である。そのことに多くの国民が気づき始めている。

3月31日(金)

櫻花(おうか)にほふ

 今日は朝から晴天の一日であったが、とても寒い一日であった。いわゆる花冷えといものなのだろうか。最近本格的に俳句をつくるようになって、「花冷え」などという言葉が口からでるようになる。日本人の季節感、情緒の豊かさに改めて驚くことしきりである。これは俳句ではなく短歌であるが、さくらというと次の短歌をつい口ずさむ。

 しきしまのやまと心を人とはば 朝日にほふ山ざくらばな

 本居宣長が詠んだ歌であるが、確かに実感として桜はやまと心を象徴する花であると思う。
 西洋のバラは確かに美しいが、とげがあり朽ち果てるときは醜い。まるで生命に執着しているかのようだ。確か新渡戸稲造の「武士道」にそんなことが書かれていた。
 
 幼少時も含めて10年間ヨーロッパで生活し、西洋の美といものをいやというほど見てきた私であるが、自分のDNAの中には日本人としての美的感覚や大和魂が脈々と受け継がれており、桜を見ると理屈抜きに心を動かされる。
 春の生気あふれる朝日を全身に浴び、桜の花が満開。ただそれだけでいいようのない幸福感に酔いしれてしまう。その背後に霊峰富士でもそびえてようものなら、もう最高である。外国人も感動する光景である。
 特攻隊をはじめ戦争で桜の花のように散ることを「散華(さんげ)」と表現する。先の大戦で散華された若き特攻隊員は、もうじきに散ってしまうきょうの桜の花とだぶって目にうつってしまう。命はかなく美しく散っていっただけに切なく悲しい。二度と戦争を起こしてはならないし、戦争をあまりにも美化してはならないが、散華された英霊には改めて感謝と哀悼の気持ちを捧げたい。

 自分はまだ40歳であるが、いつ死ぬか分からない。病気になるかもしれないし、事故にあって不慮の死を遂げるかもしれない。人権擁護法案、郵政民営化法案はじめ権力の一番のタブーに触れてしまったため反対勢力に殺されるかもしれない(冗談で言っているのではない)。しかし、私も桜の花のように、国家国民のため、武士道精神にのっとって散るときは潔く散りたい。
 その時は「後に続くを信ず」。

3月31日(金)

 

小学生に英語教育?

 先日新聞の記事を読んで唖然とした。小学生(但し高学年)に英語教育を義務化すると中教審が答申したとの内容であった。小学生が放課後か休日に英語塾にかようのは自由だが、英語を週一こまでも教える暇があったら、国語か道徳(国語の勉強にもなる)にあてるべきである。
 「国家の品格」の著者の藤原正彦先生も常々おっしゃっているように英語が堪能でも中身がなければただ外国人に日本の恥をさらすだけである。
 私は小学校一年生から四年生までドイツの小学校に通い、卒業したが(日本と異なり四年で卒業)、全てドイツ語の授業で英語の授業など受けたことが一度もない。ドイツの小学校に通ったおかげで日本に帰ってきてから漢字を覚えるのに苦労したし、未だに字が小学生低学年なみに下手である。当時毎朝早起きして国語を必死になって勉強した。国語ができないと社会の教科書も読めない。
 小学生に英語を教えるというのは時代錯誤もはなはだしい。敗戦直後のアメリカの占領下ならまだしも、齋藤孝先生の「日本語で遊ぼう」はじめ、日本語の良さ美しさがようやく見直されているこの時期になにを今更英語(本当は米語)といいたい。
 授業を全部英語で受けさせるならまだしも(やらないで欲しいが)、小学生に小手先の英語をやらせただけでは、決して英語がうまくならないと断言する。帰国子女であった私が言うのだから本当である。それよりも、国語をしっかりと勉強させ、母国語によるコミュニケーション能力を身につけさせたり、道徳・修身を通じて人間力を高めた方が英語をはじめ外国語能力が向上するし、中身のある内容を話すことによって外国人と対等にわたりあえ、尊敬もされよう。
 そもそも最近の翻訳機の発達により、外国語ができる必要はないという人もいる。中途半端な英語教育を行うくらいなら、徹底した国語教育、日本人教育(歴史、伝統・文化)をすべきである。これこそりっぱな国際人になれる近道である。

3月29日(水)

 
 

三つ子の魂百まで

 長らくお待たせしました。多くの方々から早くブログを更新せよとのおしかりを頂きました。本当に申し訳ございませんでした。今後は週三回程度更新する予定であります。
 先週長男の康文の卒園式がありました。長男はじめ、その同級生のすばらしい成長ぶりを堪能することができました。感動感動の連続です。
 現職の頃、教育問題を司る衆議院の文部科学委員会のメンバーであり、文部科学部会の下にある幼児教育小委員会に私もメンバーの一人として参加させていただきました。いろいろと多くを學びました。これからはお金が全てなようでありますが、そういう者とは違った世界でまた新た出発をはかっている方が大勢いらっしゃる。
 この種の会合にたくさん顔を出したいと思っております。

平成18年3月